<謡曲「熊野」と行興寺>
遠江国池田の宿の長 熊野は平宗盛(清盛の次男)の寵愛を受け、京都清水の桜見物に出かける。熊野は病母から届いた手紙で見舞いに赴きたいと思い、宗盛に暇を乞うが聞き入れられず、やむなく宗盛に同行した。花の下の酒宴が始まり舞を舞った熊野は、俄(にわか)の村雨に散る花に寄せて故郷の病母を気遣い
いかにせん
都の春も惜しけれど
馴れし東の花や散るらん
と和歌を詠んだのを見て宗盛も哀れに思い、暇を与えた。熊野はこれも清水のご利生と喜んで故郷へ帰って行った。
熊野は藤の花をこよなく愛し、行興寺本堂側に熊野が植えたと伝えられる老木があり「熊野の長フジ」と称せられている。
行興寺は、今より800年の昔、延久元年の創建にて、謡曲で有名な、熊野御前の旧跡である。当寺には熊野御前の守本尊厄除十一面観世音(恵心僧都作)熊野御前とその母、侍女朝顔の暮墳がそのまま昔を物語っている。
「熊野の長フジ」の見頃は、年により相違があるが、平年4月下旬から5月上旬である。熊野記念公園を中心に「熊野の長藤まつり」が開催され、様々なイベントが開催される。 |