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数寄屋橋公園 「君の名は」   東京都中央区
数寄屋橋公園、像は岡本太郎作
数寄屋橋公園 菊田一夫の筆になる碑
 数寄屋橋は寛永6年(1629年)江戸城外郭見附として架けられ、橋の有楽町側に南町奉行所があった。関東大震災後、近代的な美観の石橋に架け替えられ、以来銀座の入口として親しまれてきた。今は首都高速と地下鉄に上下を挟まれ橋の姿も消え、かって「君の名は」で人気となったが今は橋もない。原作者菊田一夫の筆になる「数寄屋橋此処にありき」と刻んだ碑が立っている。小さな公園である。
 最初どこにあるのかわからなかったので交番で聞く。するとすぐそばの小さな公園だと教えてくれた。目と鼻の先くらいであった。その場所は通ったのだが、まさかここが数寄屋橋公園とは夢にも思わなかった。それくらい小さな公園であった。
 公園に立つ像は、岡本太郎作、昭和41年(1966)建立。数寄屋橋ライオンズクラブの結成記念として岡本太郎氏に製作を依頼。「太陽の塔」の小型版である。
 数年後に再び訪れる。冬の夕暮れ時に近い時刻であった。下の画像がその時の様子である。
数寄屋橋公園
数寄屋橋公園 数寄屋橋公園
数寄屋橋公園 数寄屋橋公園
数寄屋橋の碑> 
 寛永六年(西暦一六二九年)江戸城外廊見附として数寄屋橋が初めて架けられた時は幅四間長三間の木橋であった 橋名は幕府の数寄屋役人の公宅が門外にあったのに依るという見附の城門枡形は維新の際に撤去され ついで大正大震災後の復興計画によって完成を見た近代的美観を誇る石橋が銀座の入口を扼することヽなった 爾来三十年首都交通の激増はこの界隈を更に変貌させた外壕上を高架車道が地下には地下鉄が走るようになって橋も姿を消し こヽは渾然たる大銀座の一劃となった 本会は茲に旧橋の遺材を以て碑を建て感慨深い東京文化の変遷を偲ぶよすがとした  一九五九年四月   数寄屋橋公園美化協力会
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