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| 大晦日の東京駅の様子。日本橋口は普段でも他の出入り口より人の動きが少ないところだが、大晦日の夜は非常に少なく寂しい。 |
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<C62形蒸気機関車の動輪>
第2次世界大戦で戦災を受けた東京駅が修復された昭和23年(1948)に、これと時を同じくして誕生したC62形蒸気機関車は、日本復興のエースとして活躍し、世界最高の時速129キロを記録するなど、技術の粋をあつめた「栄光の名機」とうたわれた。
このC6215号機は、東海道、山陽、函館本線などをかけめぐり、昭和46年(1971)12月解体されるまで、約263万q(地球を65.7周)を走り続けた。「鉄道100年」に完成したこの東京地下駅に、同機の動輪をかざり、その歴史をたたえることとした。
(昭和47年(1972)7月15日 日本国有鉄道) |
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<外壕アーチ橋の橋塔の由来>
現在、東京・神田駅間の外壕(日本橋川)に架かる鉄骨鉄筋コンクリート造鉄道アーチ橋は大正8年(1919)に日本で最初に架設された長大スパンのコンクリート橋である。 表面は石張りで化粧され、アーチの中央には鉄道のシンボル「動輪」が刻まれ、その端部には高さ約10mの石造の橋塔が威容をを誇っていた。
外国からの輸入技術を脱皮しようやく日本人の技術が開花した代表的な橋梁である。
この橋塔は中央線の重層化工事に支障したため撤去し、この地に移設したものである。
<橋塔について>
この橋塔は、本通路神田方に復旧・設置してある外壕アーチ橋塔と共に、橋梁始点・終点に相対して設置してあったものの頭部部分を移設したものである。
設計は、大河戸宗治博士によるものである。
「大河戸宗治(1887〜1960)」
明治42年(1909)東大土木卒、鉄道省に入る。以降、東京改良事務所長として、現在の通勤交通網基本整備に携わる。昭和5年(1930)工務局長をつとめ、昭和6年(1931)退官する。 |
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外部リンク Tokyo Station City JR東日本 東京の観光
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