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<近江米玄米ポン菓子>
「近江米玄米ポン菓子」の看板というのか垂れ幕というのが目に飛び込んでくる。八丁堀を散策している時である。ポン菓子とは懐かしい。ポン菓子をつくる機械は昔とは変わったものだ。1袋100円だった。ポン菓子を頬張りながら散策を続ける。 |
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<白雲館>
明治10年(1877)に八幡東学校として建築された白雲館は、八幡商人や地域住民の熱意と協力で当時6千円(米一俵が1円34銭)の費用をかけて建築された。明治10年(1877)の児童数は男115人、女117人の232人と記されている。
学校として使用された後は、役場、郡役所、信用金庫等を経て、平成6年(1994)に建築当時の姿に復元された。
白雲館という名称は、藤原不比等の和歌「天降の 神の誕生の 八幡かも 比牟礼の杜に なびく白雲」から名付けられた説や鎌倉時代の臨済宗の僧・白雲彗暁の徳を偲んだことによる説などがある。
日牟礼八幡宮の前にある洋館で登録文化財である。 |
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<名誉市民ウィリアム・メレル・ヴォーリズ>
名誉市民ウィリアム・メレル・ヴォーリズは、1880年(明治18年)10月28日、米国カンザス州レブンワース市に生まれた。両親の感化により信仰心の厚かった彼は、1905年(明治38年)2月、24歳のとき、国際YMCAから日本の近江八幡に遣わされた。
以来、1964年(昭和39年)88歳で亡くなるまでこの地を去ることなく、キリスト教精神に支えられた、愛に満ちた理想社会実現のため、彼を慕う多くの人々と力を合わせて、医療や教育事業を進め、建築に卓越した手腕を発揮し、キリスト教を伝道し、福祉や文化を高めるなど、多彩な社会貢献活動を展開した。
そして、これらの活動を経済的に支えるため、建築設計会社をはじめメンソレータム(現メンターム)で有名な製薬会社を興し、企業家としても大いなる成功を収めた。
外観よりも内容を重視したヴォーリズの西洋風建築は、大丸心斎橋百貨店や関西学院大学をはじめ、住宅、教会など国内外に1600にも及んだ。
多くの協力者とともに成し得た数々の偉大な事業とその精神は、今もなお引き継がれ、近江八幡市民に広く深く息づいており、その評価は衰えることなくますます強く私たちにその人となりを慕わせずにはおかない。
「世界の中心は近江八幡にあり」と唱え、すべての人が幸せになれるまちづくりを目指した彼の足跡を、かけがえのない客として近江八幡市民の名において永遠に顕彰するため、ここ「ヴォーリズ創めの家」ゆかりの地に記念の像を建立し、これからの郷土づくりの糧にしていきたい。 1999年5月 近江八幡市 |
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<郵便ポスト型新聞受>
為心町通りを散策していると見かける。最初は随分小さな郵便ポストだな、でもポストにしては小さすぎるし、かかっている場所もおかしいなと思って近づいてよく見ると新聞受だった。ここだけの物だろうと思っていたら、他の場所にもあった。 |
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<ヴォーリズと井上孫治郎>
ウィリアム・メレル・ヴォーリズ(1880〜1964)は、神の選びによって遣わされ近江兄弟社を興した。帰化して一柳米来留となり、ここのその骨を埋めた。市長井上孫治郎(1896〜1983)は、偉大な事蹟を遺した。ヴォーリズを市の誇りとし、後世に伝えるために、名誉市民の称号を贈る事を議会にはかった。 |
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外部リンク 日本観光振興協会 近江八幡観光物産協会 滋賀県観光情報
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