| 堺町通 |
豊臣秀吉の京都大改造により開かれた通り 京都府京都市中京区
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| 1590年頃から大規模に進められた豊臣秀吉の京都大改造により開かれた通り。当時は人家が少なく、町と野原の境であったことから堺町通と呼ばれるようになった。また、二条通より南は材木町通、四条辺りは亀屋突抜とも呼んでいた。 |
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五条通から堺町通に入り北上する。すぐ右手(東)に久保田豆腐店がある。ここは江戸時代から続く店とのこと。左手(西)に、「鉄輪跡」(かなわ)の石碑があるので奥に入っていく。
<「鉄輪ノ井」由来>
謡曲「鉄輪」は、男に捨てられた市井の女が、貴船へ”丑(うし)ノ刻詣り”をして、相手の男と、その後妻をを祈り殺そうとする話が骨子になっているが、この井戸は”鉄輪の女”が住んでいたところのものだといい、一説には身投げをした井戸ともいわれている。このような伝説から「縁切り井戸」として、井水を汲んで相手にのませると、悪縁が切れるなどの俗言があった。昭和10年(1935)には「霊井」となっている。なお、かつては鉄輪できずかれた塚があったということです。 |
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| 松原通を越すと、民家の前に「夕顔塚」の石碑がある。源氏物語の夕顔がこの辺りに住んでいたということである。賑やかな四条通の交差点を通り抜け更に北に進む。 |
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| 四条通の次に交差するのが錦市場である。この辺りの南北にはしる小路は全て錦小路通(錦市場)と交差している。 |
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蛸薬師通を過ぎると「石田梅岩邸跡」の石碑がある。石田梅岩は、江戸時代の思想家で石門心学の開祖である。その教えは商人の営利活動や勤勉・倹約を奨励することを説いた。コーヒーの老舗「イノダコーヒ本店」もこの通りにある。大勢のお客さんで満員状態であった。
この付近には美術・工芸・骨董などの店が多い。 |
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御池通を大きな交差点を通り抜ける。左手(西)にキンシ正宗発祥の地・堀野記念館がある。玄関前の解説文によれば
『天明元年(1781)、若狭出身の堀野家の初代松屋九兵衛は、この地で造り酒屋を始めた。堀野商店(現キンシ正宗)は、明治になってから酒蔵の一つを伏見に置き、戦後は本社も伏見に移したが、創業の地であるこの家は往時の姿をそのまま守り続けて残されてきた。当時御所の南の一帯には、造り酒屋がかなり集まっていた。おそらく醸造に適した良質の水脈が豊富にあったのだろう。(以下省略)』とある。
堀野記念館では、京の銘酒、京の地麦酒など味わえるのだが、入った時刻が閉店時刻ちょうどであった。店内をさっと見渡して出る。 |
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堺町通が丸太町通で行き止まりになる。正面には「堺町御門」が見える。禁門の変(元治元年(1864))で戦いがあった所である。
堺町通は、京都では比較的新しい通りの一つであるが、美術工芸の店や歴史的跡地などがあって楽しい散策であった。 |
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