この辺りは昭和40年までは「湯島切通町」といわれており、昔から奥州街道の脇道としてわずかばかりの町屋があった。江戸時代になって、旗本などの拝領屋敷ができ、元禄年中(1688〜1704)から街並屋敷となった。南側に切通坂があるので湯島切通町とした。
北側の隣接地は、家康の四天王の一人榊原康政の屋敷で、区内の大名屋敷の第1号である。明治維新で桐野利秋の所有となり、後に西郷隆盛とともに利秋が鹿児島に帰るとき、岩崎弥太郎の所有となった。戦後、物納されて現在は最高裁判所の研修所となっている。
切通坂は、「湯島の白梅」の”青い瓦斯灯境内を出れば本郷切通し”で全国的に知られている。 |