写真紀行・旅おりおり トップページへ 旅先で出会った印象的な一こま、街角でふと見つけたなつかしい景色などの写真紀行

四季の風景
山・峠川・滝湖・池・沼海岸春模様
印象に残る景色
街角灯台沿線風景路面電車横丁・小路町家小路道風景
建築・構造物の巧みさ
伝統的建築先端建築神社通りテ−マパ−ク垣根
個性輝く
今を生きる趣味遊ゝ永遠に
史跡を訪ねる
街道を行く史跡城・城跡人物細道墓地・終焉の地生誕地・生家PLAY BACK
産業
伝統・地場産業漁港温泉自動車
祭・歌の舞台
祭・イベント歌の舞台
食・その他
食の徒然草リンク集管理人備忘録

写真紀行・旅おりおり 更新情報
大王埼灯台 絵かきの町の灯台   三重県志摩市
大王埼灯台
大王埼灯台 大王埼灯台
大王埼灯台 大王埼灯台
大王埼灯台 大王埼灯台
 大王埼は、志摩半島の南東端にあり、遠州灘と熊野灘の荒波を二分するように突出しており、海の難所として知られているところです。そのため、早くから灯台の設置が望まれ、明治17年(1884)には建設の計画が起きていた。
 灯台は、昭和2年(1927)5月16日、灯台局直営で着工され、同年10月5日初点灯した。
 位置  北緯 34度16分34秒、 東経136度53分58秒
 光り方  単閃白赤互光 30秒毎に白1閃光赤1閃光
 光の強さ  白色 250万カンデラ、 赤色 4.7万カンデラ
 光の届く距離  18.5海里(約34.3q)
 高さ  地上から灯台頂部 約23m、 水面から灯火   約46m
大王埼灯台からの眺め 大王埼灯台からの眺め
大王埼灯台からの眺め 大王埼灯台からの眺め
 ここ大王崎は志摩半島の南東端にあり、遠州灘と熊野灘の荒波を二分するかのごとくに突き出ている。昔から海の難所として船人達に知られており、ここで難破する船は後を断たず「大王の沖で難破しても船主は船頭にその罪を問わない」という言い伝えがあったそうです。そのため早くから灯台の設置が望まれていた。
 しかし、建設の計画は早くから起こっているにもかかわらず実施にいたるには遠く、その後も大正2年(1913)にサンマ漁船が遭難し一瞬のうちに51名もの命が奪われた。そして、大正6年(1917)にも当時の日本海軍が誇る3000トンの巡洋艦「音羽」がこの沖の大王岩に激突、座礁するという事故も起こってしまい、この様な出来事により灯台建設促進には拍車をかけていった。
 しかし、大正12年(1923)の関東大震災によって各地の灯台が倒壊し、その復旧には大正15年(1926)までの歳月を要した。そのため新設灯台の建設には着手できなかったようです。
 そして、昭和2年(1927)、震災復旧後の新設灯台の第1号として念願の大王埼灯台が同年10月5日に点灯を開始した。当時の鉄筋コンクリート造りの灯台は角形が主流だったが、この大王埼灯台は円形白塗りで下部には扇型の2階建付属舎をもつ斬新な設計で、他に例を見ない立派なものだった。
 その後、灯台は太平洋戦争中、米軍艦載機の機銃掃射をうけ、灯籠、レンズ、灯器に大きな被害を受けたが、灯塔には僅かに弾痕をとどめる程度で破壊は免れた。そして、昭和53年(1978)に半世紀ぶりの大改修を行い現在の姿となった。
 灯台の業務面でも昭和29年(1954)に大王崎無線方位信号所が新設され、翌30年(1955)には船舶気象通報業務も行っている。また、昭和41年(1966)には大王崎大王岩照射燈が併置され、300万カンデラの光度で大王崎の北東にある大王岩を照らし、付近を航行する船舶に注意を促している。

関東
犬吠埼 野島埼 観音埼new
中部
爪木崎 御前崎 伊良湖岬 清水 真崎
野間 舞阪 大王埼
中国
日御碕 美保関

コメント
このページへのコメント
コメントを書いてください。


おなまえ:

メールアドレス(任意):

ホームページ(任意):
  設定を保存しますか? はいいいえ  
このページへの コメント:
トラックバック
このエントリーのトラックバックURI: http://www.uchiyama.info/oriori/cgi-bin/blog/mt-tb.cgi/2164




Google
 
Web 写真紀行・旅おりおり

「写真紀行・旅おりおり」の画像を利用したい場合は、「問い合わせ」より連絡してください。
Copyright (C) 2002-2008 www.uchiyama.info. All Rights Reserved.


写真紀行・旅おりおり花紀行・花おりおり
昨日 今日 総PV