写真紀行・旅おりおり トップページへ 写真紀行・旅おりおり : 旅先で撮影した景色、建築、史跡、祭、風物等の写真と動画
 <海岸や海を巡る写真紀行


 印象深い景色
坂道灯台横丁・小路街角通り温泉
 史 跡
街道史跡城・城跡人物奥の細道墓地・終焉地Play Back
 建築・構造物
伝統的建築先端建築神社漁港垣根
 自 然
池・沼海岸
 産業・交通
伝統・地場産業バスターミナル国内線自動車・バイク道風景
 四季の景色
棚田春景色夏景色秋景色冬景色
 歌の舞台・祭・他
歌の舞台祭・イベント夜景テ−マパ−ク釣り
 管理人
管理人備忘録リンク集

襟裳岬 霧の名所   北海道幌泉郡えりも町
襟裳岬
襟裳岬 襟裳岬
 襟裳岬は、霧の名所である。この日は霧が深く遠方がガスってしまいよく見えない。聞こえてくる音で岬の前方を想像する。
名勝 ピリカノカ 襟裳岬
 ピリカノカとはアイヌ語で、「美しい・形」を意味し、アイヌの物語や伝承、祈りの場、言語に彩られた優秀な景勝地群を総称するものです。
 襟裳岬の名はアイヌ語の「オンネエンルム」から由来しており、「大きく・突き出たところ」すなわち大きな岬を意味している。
 「エルム」には「ねずみ」の意味もあり、太平洋に突き出た岩礁をネズミが跳びはねる走る姿に見立てた。
 アイヌの神謡(カムイユカラ)には「エルムノッ ト レプンカムイ」(襟裳岬のシャチの神)がある。
 襟裳岬は風が強く、波が荒れ、江戸時代より海の難所として知られていた。木村謙次「蝦夷日記(1798〜99)」には「エリモ岬ではアイヌはイナウを立てて神酒を供える」、松浦武四郎「蝦夷日記(1845)」には「アイヌはここを通る時はイナウを削り納めて通過する」と記述されている。
 松浦武四郎「戌午東西蝦夷山川地理取調日誌(1858)」には「モノク子(岩礁帯先端部にある岩礁)にコンブが多く生えているが、アイヌなどはエリモ様のおひげだとして、昔から採ることはない」と記載され、アイヌにとって神聖な場所であることがわかる。
 指定面積は、エリモ岬の崖と岩礁、周辺海域の1.976㎢です。
襟裳岬 (左)森進一「襟裳岬」の歌碑、(右)島倉理代子「襟裳岬」の歌碑
風のかたち・カルマン渦> 
 「風の館」のモチーフであるカルマン渦は風の現象のなかで、興味あるもののひとつです。流れの中に柱状の物体を置くと物の両側から渦が交互に周期的に後方の流れの中に放出され2列の渦が規則正しく並ぶようになる。このような渦列は、この現象を解明した流体力学者カルマンの名前をとって、「カルマンの渦列(Karmar vortex street)と呼ばれる。風に鳴く電線の音も、もの悲しい木枯らしの音も、カルマン渦によるものです。
襟裳岬
日高山脈襟裳国定公園
 日高山脈襟裳国定公園は北海道を東西に二分する日高山脈の主要部分と広尾町から襟裳岬周辺にかけての海岸線一帯及びアポイ岳周辺地域から成り、国定公園としては全国一の規模(面積は103,447ha)をもち、わが国有数の山岳公園である。
 日高山脈の地形で最も特徴的なものは幌尻岳を中心とする氷河圏地形(カール)の存在である。洪積世後半の第3〜第4氷河期に形成されたもので、形成時期を細別されるものとしてはわが国でも数少ないものであり、学術的にはもちろn景観的にも極めて貴重なものである。その日高山脈が太平洋へ沈むところが襟裳岬である。
 勇壮な断崖と紺碧の海は大景観をおりなし、岬の突端から約2qにわたって連なる岩礁は白い波が砕け散り、さらに海面下を約5qも続き、北海道の数ある景勝地の中でも、ひときわ壮大な印象を与えてくれる。
北海道
神威岬 襟裳岬 オタモイ海岸
東北
入道崎 千畳敷海岸 八森岩館海岸 鵜ノ崎海岸 男鹿半島ジオパーク
男鹿国定公園 龍飛岬
関東
相模湾 真鶴岬 七里ヶ浜 片瀬東浜 稲村ヶ崎
観音崎 屏風ヶ浦 明鐘岬 金田海岸
東海
渥美半島 伊良湖水道 片浜十三里 恋路ヶ浜 日出の石門
伊良湖岬 堀切海岸
遠州灘 御前崎海岸 浜岡砂丘 中田島砂丘 米津の浜
今切口
伊豆半島 白浜海岸 爪木崎 松崎海岸 城ヶ崎海岸
入田浜 沼津海岸 堂ヶ島 黄金崎
波勝崎
鳥羽湾 伊勢湾 三保松原 二見浦 吉良・宮崎海岸
北陸
雨晴海岸 松田江浜 敦賀湾
近畿
南紀白浜 天橋立
中国
鳥取砂丘 日御碕 地蔵崎 折居海岸 関門海峡
深川湾
四国
エンジェルロード 桂浜 龍王岬 化石漣痕 叶埼
足摺岬new
九州
今津湾 九十九島
沖縄
佐和田の浜 与那覇前原ビーチ


Google
WWW を検索 写真紀行・旅おりおり を検索

「写真紀行・旅おりおり」の画像を利用したい場合は、「」より連絡してください。

Copyright(c) 2002-2018 写真紀行 All Rights Reserved.