写真紀行・旅おりおり トップページへ 写真紀行・旅おりおり : 旅先で撮影した景色、建築、史跡、祭、風物等の写真と動画
 <古い形を保った橋、最先端の橋などを巡る写真紀行


 印象深い景色
坂道灯台横丁・小路街角通り温泉
 史 跡
街道史跡城・城跡人物奥の細道墓地・終焉地Play Back
 建築・構造物
伝統的建築先端建築神社漁港垣根
 自 然
池・沼海岸
 産業・交通
伝統・地場産業バスターミナル国内線自動車・バイク道風景
 四季の景色
棚田春景色夏景色秋景色冬景色
 歌の舞台・祭・他
歌の舞台祭・イベント夜景テ−マパ−ク釣り
 管理人
管理人備忘録リンク集

五条大橋 牛若丸と弁慶   京都市下京区
五条大橋
五条大橋 五条大橋
牛若丸と弁慶の像 五条大橋
 牛若丸と弁慶が出会ったという有名な橋で、牛若丸と弁慶の像が西詰の緑地に立っている。もともとの五条大橋は、平安京の五条大路の東の端、今の松原橋の位置にかかっていたが、豊臣秀吉が天正年間に方広寺大仏殿造営の際に現在地に移した。
大田垣蓮月の歌碑 大田垣蓮月の歌碑
 橋のたもと付近に大田垣蓮月の歌碑がある。
太田垣蓮月> 
 江戸後期の女性歌人。夫と子供の死を機に出家、「蓮月」と名乗る。自作の短歌を独自の書体で入れた陶器が「蓮月焼」の名でヒットした。
 多くの文人との逸話もあるが、幼い富岡鉄斎の学問修業の援助をしたのは有名。幕末、明治・大正にかけてその名が広く知られていたいたことは、時代祭の行列に登場していることからも分かる。
 歌集に「海女のかる藻」がある。
 幕末、京の町が騒がしくなった72歳の時に、西賀茂神光院茶所に移り、明治8年(1875)、84歳で没。墓は西賀茂西芳寺にある。墓石の字は富岡鉄斎。(太田垣義夫)
 あすも来て 見んと 思えば 家づとに 
    手折るも をしき 山さくら花
  (「家づと」家に持ち帰るみやげ)
東北
盛岡・開運橋 青森ベイブリッジ 天童眼鏡橋 山居橋
関東
東京 聖橋 業平橋 万世橋 レインボ−ブリッジ
萬年橋 弁慶橋 鎧橋 昌平橋
面影橋 目黒新橋 末広橋 相生橋
佃小橋 千住大橋 数寄屋橋 日本橋
はねだ日本橋new
東京(隅田川) 隅田川の橋 隅田川新大橋 新大橋 隅田川大橋
永代橋 清洲橋 両国橋
那須 弁天吊橋 つつじ吊橋
横浜ベイブリッジ 湯桧曽川橋りょう 六郷川鉄橋 加藤洲十二橋 鎌倉・夷堂橋
甲信越
奈良井木曽の大橋 河童橋
東海
浜松 鎧橋 浜名大橋
河津 河津七滝ル−プ橋 豊泉橋
矢作橋 名古屋・五条橋 木曽川大橋 蓬莱橋 合掌大橋
塩郷の吊り橋 名港トリトン
近畿
京都 三条大橋 五条大橋 渡月橋 一本橋
巽橋
大阪 天保山大橋 大黒橋 淀屋橋
宇治 宇治橋 喜撰橋
大谿川橋 神戸大橋 明石海峡大橋 大鳴門橋 琵琶湖大橋
笠置大橋 余部鉄橋
中国
境水道大橋 錦帯橋 津和野大橋 虎臥城大橋 瀬戸大橋
新尾道大橋
四国
祖谷の蔓橋 奥祖谷二重蔓橋 はりまや橋
九州
長崎 眼鏡橋 袋橋 東新橋
平戸 幸橋 平戸大橋
鹿児島 高麗橋 南洲橋
西海橋 関門橋


Google
WWW を検索 写真紀行・旅おりおり を検索

「写真紀行・旅おりおり」の画像を利用したい場合は、「」より連絡してください。

Copyright(c) 2002-2018 写真紀行 All Rights Reserved.