写真紀行・旅おりおり トップページへ 写真紀行・旅おりおり : 旅先で撮影した景色、建築、史跡、祭、風物等の写真と動画
 <古い形を保った橋、最先端の橋などを巡る写真紀行


 印象深い景色
坂道灯台横丁・小路街角通り温泉
 史 跡
街道史跡城・城跡人物奥の細道墓地・終焉地Play Back
 建築・構造物
伝統的建築先端建築神社漁港垣根
 自 然
池・沼海岸
 産業・交通
伝統・地場産業バスターミナル国内線自動車・バイク道風景
 四季の景色
棚田春景色夏景色秋景色冬景色
 歌の舞台・祭・他
歌の舞台祭・イベント夜景テ−マパ−ク釣り
 管理人
管理人備忘録リンク集

笠置大橋 橋付近・キャンプのメッカ   京都府相楽郡笠置町
笠置大橋
笠置大橋 笠置大橋
 三重県伊賀上野市から京都府木津市へ向かって国道163号を走る。木津川にそって進むとやや大きな赤い橋が目に入ってくる。河原では、大勢の人々がキャンプやバーベキューなどをしている。橋を渡る予定ではなかったが、せっかく来たので渡って対岸に降りる。木津川の上手からカヌーの一団が下ってきた。
笠置大橋
 現在では人や車が行き交い、笠置の人々も日常生活に欠かせない笠置大橋ですが、明治・大正の頃は木津川にかかる橋はなく、「渡し船」によって対岸へ往来していました。交通の便はもちろん、木津川の水かさが増せばたちまち運行中止となってしまい、人々はたいへん不便な思いをしていました。
 この二つの不便を何とかしようと立ち上がったのが、当時の村長、新田尚治氏でした。しかし、簡単に工事は進みません。なぜなら当時最大級クラスの吊り橋をかけるためには、高い土木技術と莫大な資金が必要だったのです。
 断崖の作業現場では幾多の難関に立ち阻まれつつ、試行錯誤をくり返しながら工事は進められていきました。彼は資金つくりのために駆け回り、ついには自らの財産をつぎ込み工事費を捻出しました。彼は自らが治める村の発展を信じ、家族が貧困の窮地に追いやられてまでも、全身全霊を打ち込んで橋の設立を目指したのです。彼にとって吊り橋は、まさに「夢の架け橋」だったのです。
 大正八年、新田尚治氏の情熱と献身的な努力の甲斐がありついに初代笠置橋が完成しました。橋は今では吊り橋から鉄骨に姿を変えましたが、新田尚治氏の橋にかけた情熱は今も笠置大橋の姿に受け継がれ、人々の暮らしを支えています。(笠置町HPより引用) 
東北
盛岡・開運橋 青森ベイブリッジ 天童眼鏡橋 山居橋
関東
東京 聖橋 業平橋 万世橋 レインボ−ブリッジ
萬年橋 弁慶橋 鎧橋 昌平橋
面影橋 目黒新橋 末広橋 相生橋
佃小橋 千住大橋 数寄屋橋 日本橋
はねだ日本橋new
東京(隅田川) 隅田川の橋 隅田川新大橋 新大橋 隅田川大橋
永代橋 清洲橋 両国橋
那須 弁天吊橋 つつじ吊橋
横浜ベイブリッジ 湯桧曽川橋りょう 六郷川鉄橋 加藤洲十二橋 鎌倉・夷堂橋
甲信越
奈良井木曽の大橋 河童橋
東海
浜松 鎧橋 浜名大橋
河津 河津七滝ル−プ橋 豊泉橋
矢作橋 名古屋・五条橋 木曽川大橋 蓬莱橋 合掌大橋
塩郷の吊り橋 名港トリトン
近畿
京都 三条大橋 五条大橋 渡月橋 一本橋
巽橋
大阪 天保山大橋 大黒橋 淀屋橋
宇治 宇治橋 喜撰橋
大谿川橋 神戸大橋 明石海峡大橋 大鳴門橋 琵琶湖大橋
笠置大橋 余部鉄橋
中国
境水道大橋 錦帯橋 津和野大橋 虎臥城大橋 瀬戸大橋
新尾道大橋
四国
祖谷の蔓橋 奥祖谷二重蔓橋 はりまや橋
九州
長崎 眼鏡橋 袋橋 東新橋
平戸 幸橋 平戸大橋
鹿児島 高麗橋 南洲橋
西海橋 関門橋


Google
WWW を検索 写真紀行・旅おりおり を検索

「写真紀行・旅おりおり」の画像を利用したい場合は、「」より連絡してください。

Copyright(c) 2002-2018 写真紀行 All Rights Reserved.