|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
<妻恋神社と夢枕>
その昔、日本武尊の東征におり、三浦半島から房総へ渡るとき、大暴風雨に会い、妃の弟橘姫が身を海に投げて海神を鎮め、尊の一行を救った。途中尊が、湯島の地に滞在したので、郷民は尊の妃を慕われる心をあわれんで、尊と妃を祭ったのがこの神社の起こりと伝える。後、稲荷明神(倉稲魂命)を祭った。
江戸時代、妻恋稲荷と呼ばれ、関東惣社と名のり王子稲荷と並んで参詣人が多かった。また、正月2日の晩に枕の下に敷いて寝ると、よい夢を見るという縁起物の木版刷りの「夢枕」が売り出された。
”お宝お宝と大音声に呼ばったり”(宮島五丈原)「福寿鶴亀」と「七福神の乗合宝船」の2枚の夢枕は、万治年間(1658〜61)に創案され当社が版権を所有していた。版木は、戦災で焼けたと思われていたが昭和52年12月摺師(すりし)の家で見つかった。幻の夢枕は、関係者によって日の目を見て、売り出されるようになった。 |
|