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<引間城から浜松城へ>
浜松城は、三方原台地の東縁にあたる段丘を利用した平山城です。中世には、現在の東照宮(元城東照宮)辺りが引間城と呼ばれていた。徳川家康は遠江全域を支配下に収めた翌年の元亀元年(1570)に、本拠を岡崎城から引間城へと移し、その名を「浜松城」に改めた。
家康が浜松を本拠とした17年間は、家康自身にとって、20代後半から40代という人生の壮年期でもあった。のちに「出世j城」ともうたわれた浜松城において、武田勢との激しい争いをくぐり抜けながら力を蓄えていった時期でもあった。
天正18年(1590)に家康が関東へ移封された後は、豊臣系の大名堀尾吉晴が浜松城に入り石垣を築き、瓦葺の天守を建てた。しかし、天守江戸時代初期にに失われたとされている。
浜松城は、関ヶ原の戦い(1600)以前の城としては、日本有数の巨大な城であり、天守やその台座である天守台も極めて大きなものだった。
江戸時代には、徳川譜代の大名が城主となり二の丸御殿の建設や三の丸への拡大整備が行われた。浜松城と一体となって整えられた城下町とともに、政治・経済の拠点として栄えた。 |
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