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妙覚寺は、天正10年(1582)本能寺の変において、信長と運命を共にした嫡男の織田信忠が宿舎としていた。大門前の枝垂桜とともに、塔頭寺の善明院にも見事な八重紅枝垂桜がある。
<妙覚寺大門>
妙覚寺は北竜華具足山と号し、京都日蓮宗名刹三具山および京都十六本山の一つである。
南北朝時代の1378年、龍華院日実上人により、信徒で小野妙覚の四条大宮の邸に創建され、その後、二条衣棚に移ったが、豊臣秀吉による大規模な都市改造の際に、この地に移建された。
一時は、本能寺とともに、織田信長の上洛時の宿所とされ、千利休による茶会も催された。
この大門は、寺伝によると、秀吉が天正18年(1590)に移設した聚楽第の裏門を、寛文3年(1663)に移建したものといわれており、西本願寺の飛雲閣、大徳寺の方丈・唐門などとともに数少ない聚楽第の遺構である。城門特有の両潜(りょうくぐり)扉を持ち、梁の上には伏兵を配置できる空間が設けられている。建築史上興味深い建物である。 |
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