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F1世界選手権 第9戦イギリスGPで15年ぶりに復帰。第12戦オランダGP7位完走。(第13戦イタリアGP出場車 No.40 S.ヨハンソン)昭和58年(1983)
エンジン |
RA163E 水冷4サイクル 80度V型6気筒 DOHC 4バルブ ツインターボ 1,496cc |
最高出力 |
600PS以上/11,000rpm |
重量 |
580s |
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<F1第二期の幕開け”スピリットホンダ”>
昭和43年(1968)を最後にF1活動を休止していたホンダは、昭和58年(1983)、第9戦のイギリスGPで15年ぶりにF1の舞台へ復帰。エンジンと車体の両方を開発した第一期の1960年代とは異なり、第二期はエンジンの供給メーカーとしての挑戦となった。パートナーとして選んだのは、前年からヨーロッパF2選手権でタッグを組んでいたスピリットだった。
折しも時代はターボエンジン全盛。ホンダはひと足先にF2に送り込んだV型6気筒エンジンをベースにF1のツインターボエンジンを新作。一方、スピリットが開発した車体は、真四角に張り出したサイド部分や巨大なリアウィング、短いノーズなど、ベースにしたF2マシンの面影を色濃く残していた。結果的にこの201Cにより、ホンダはF1復帰をはたしたものの、初期トラブルも多く、苦戦を強いられた。
スピリットホンダはこの年、6戦に出場し、最高位7位でシーズンを終了。ホンダはこの経験をさらなる飛躍への契機に、翌昭和59年(1984)からウイリアムズをパートナーとしてF1に参戦していくこととなった。 |
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