万昌院(功運寺)は、もと千代田区永田町にあったが、のち新宿区の市谷・築土八幡をへて、大正2年現在地に移ってきた。
幕府高家の吉良家は、この寺を菩提寺としていた。義定(よしさだ)・義弥(よしみつ)・義冬(よしふゆ)・義央(よしなか)の4代にわたってその墓石・供養塔が建てられている。高さの違いはあるが、いずれも宝篋印塔(ほうきょういんとう)です。相輪部の彫りが深く、特に請花(うけばな)や笠部の隅飾突起(すみかざりとっき)は、どれも外方に向かって突出するなど江戸時代の作風を示している。
義央の石碑面に「元禄十五壬午十二月十五日」と刻まれているのは、赤穂浪士の討ち入りの際に死去した史実を裏付ける金石文として興味深いものです。なお、昭和55年、義央の墓前には「吉良家忠臣供養塔」と「吉良邸討死忠臣墓誌」が建てられた。 |