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この建物は、明治19年(1886)、清水次郎長(山本長五郎)が清水波止場に営業を開始した船宿「末廣」で、明治時代の船宿の面影がしのばれる。
平成11年(1999)「末廣」の部材を活用した住居が、清水市(現静岡市)鶴舞町に現存していることが判明した。そこで、次郎長が清水港の振興に尽力した晩年の姿を知る貴重な資源として復元建築するとともに、次郎長が手がけた富士山麓の開墾事業などを紹介している。(現在、清水港船宿記念館になっている)
末廣は海軍士官候補生たちの定宿で、後に日露戦争で武勲をあげる広瀬武夫や小笠原長生、出羽重遠、向山慎吉らが泊まり、次郎長から武勇談を聞くのを楽しみとした。
ほかにも初代県知事関口隆吉はじめ旧幕臣たち、富岡鉄斎、新村出ら知名の士がここを訪ねている。明治26年(1893)6月12日、次郎長は末廣の一室で74歳の生涯を閉じた。
末廣は、清水港波止場の此地(下画像左の記念碑の地より約50m東)にあり、明治19年(1886)より明治26年(1893)に亡くなるまで住んだ。 |
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