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創建は奈良時代の中庸、天平13年(741、約1260年前)聖武天皇の勅願、行基菩薩の開基により、国家安穏、五穀豊穣、万民豊楽等を願って、建立された。正面突当りの本堂は古文書
国分寺記録によれば往古の講堂であり、鎌倉時代中期の建造物である。この本堂に安置されている本尊は大慈大悲の十一面千手観世音菩薩で俗に丈六仏と称される5.6mの巨像である。 |
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<本堂>
本堂は往古の講堂にして、鎌倉中期の建造物で実測九間四面(廻縁を入れれば十一間四面ある。建築上は五間五面と称す。)の規模を有し、本瓦葺単層屋根入母屋造りで廻縁を有し、柱は円柱、組物は和様出組、軒は二重繁垂木(本垂木)で、内部は内・外陣に分かれ、内陣天井は鏡天井、外陣は格天井となっている。
明治37年(1904)国宝となり、現在は重要文化財の指定を受けている。なお、当本堂は昭和になって約3ヶ年を費し、解体修理が行なわれた。後世の部分修理の際、一部、室町および江戸時代等の様式が取り入れられていたが、現在はすべて鎌倉期の様式に復元された。
<本尊>
本堂内陣の須弥壇上に寛文年間初代高松藩主松平頼重公の寄進になる大厨子内に当本尊十一面千手観世音菩薩が安置されているこの仏像は欅(けやき)の一木造りの立像にして、御丈丈六と称するが、その実測一大七尺三寸(約5.7m)の巨像である。四十手を備え、第一手合掌、第二手宝鉢を執り、以下錫杖を右手にほこを左手に執り、左右に脇手を配列し、各手に持物をとり左肩より斜に袈裟をかけ腰部に裾をまとい、両腎よりまといを垂下し、すこぶる温顔優美である。
寺伝に行基菩薩の作、弘法大師の補修と称せられている。願いにより衆生済度される、霊験あらたかな、大慈大悲の観世音菩薩である。即ち、願いを叶えてくれる観音様であります。明治34年(1901)3月、国宝に指定され、現在重要文化財となっている。 |
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<礎石跡>
聖武天皇による『国分寺建立の勅』 (741) によって、 讃岐のこの地に七重塔が建てられた。 天皇自ら金字で金光明最勝王経を書写し、塔に納めた。
これにより日本全体に仏の加護が満ちるとともに、国分寺を「国の華」と位置づけ、末永く尊ばれるよう願った。
奇跡的に創建当時の礎石が原位置のままでほぼ完全 (17石中15石)に残ることから、国の特別史跡に指定されている。
研究によれば、現存する木造の塔として日本一高い東寺の五重塔を超える大塔であったと推定される。 当時の人々にとって、天を突くようにそびえ立つ七重塔の威容を目にした驚きは如何ばかりであったでしょう。この礎石が持つ歴史や聖武天皇の願いに思いを馳せてみてください。 |
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金堂礎石目前の石群は創建当初の金堂(本堂)の柱石で、実測間口(東西)14間、奥行(南北)7間(天平尺)の大堂であった。七重塔礎石、山門と金堂の中間右側にある石群が創草時の七重塔礎石である。
全ての国分寺は五重塔ではなく、七重塔である。この塔址は心礎(中心柱が乗る礎石)と共に17個あり、五間四方(正方形)の塔で、京都東寺五重塔以上の規模の大塔であった。 |