写真紀行・旅おりおり トップページへ 旅先で出会った印象的な一こま、街角でふと見つけたなつかしい景色などの写真紀行

四季の風景
山・峠川・滝湖・池・沼海岸春模様
印象に残る景色
街角灯台沿線風景路面電車横丁・小路町家小路道風景
建築・構造物の巧みさ
伝統的建築先端建築神社通りテ−マパ−ク垣根
個性輝く
今を生きる趣味遊ゝ永遠に
史跡を訪ねる
街道を行く史跡城・城跡人物細道墓地・終焉の地生誕地・生家PLAY BACK
産業
伝統・地場産業漁港温泉自動車
祭・歌の舞台
祭・イベント歌の舞台
食・その他
食の徒然草リンク集管理人備忘録

写真紀行・旅おりおり 更新情報
松代象山地下壕 大本営の移転先として作る   長野県長野市
松代象山地下壕
松代象山地下壕 松代象山地下壕
松代象山地下壕 松代象山地下壕・入口
 松代象山地下壕は、第2次世界大戦の末期、軍部が本土決戦最後の拠点として極秘のうちに、大本営、政府各省等を松代に移すという計画の下に構築したものです。着工は昭和19年11月11日午前11時。翌20年8月15日の終戦の日まで、約9ヶ月の間に当時のお金で約2億円の巨費とおよそ延べ300万人の住民及び朝鮮人の人々が労働者として強制的に動員され、1日3交替徹夜で工事が進められました。食糧事情が悪く、工法も旧式な人海作戦を強いられ、多くの犠牲者を出したと言われています。
 舞鶴山(現気象庁精密地震観測室)を中心に、皆神山、象山の3ヵ所に碁盤の目のように掘り抜かれ、その延長は10キロメートル余に及んでいます。全工程の75%の時点で終戦となり、工事は中止されました。
 戦後は、訪れる人も少なく、忘れ去られようとしていましたが、太平洋戦争の遺跡として多くの人々にこの存在を知っていただくため、平成元年から見学できるように整備したものです。(長野市観光課HPより引用)

東北
角館・武家屋敷 *
関東
弘道館 煉瓦造り厩舎 築地塀 佃島渡船場跡 大洗堰跡
山吹の里 お化け燈籠 処静院跡の石柱 蕃書調所跡 定火消発祥の地
ぺりー上陸地 銅燈籠
見附 赤坂見附跡 日比谷見附跡 四谷見附跡
中部
反射炉 松代藩文武学校 旧見付学校 願成就院 真田邸
象山地下壕 川中島古戦場 馬防柵 崇廣堂 指月殿
関ヶ原合戦 家康最初陣地 関ヶ原決戦地 石田三成陣跡 島左近陣跡
ペリー上陸地 吉田松陰寓寄処 信長塀 旧天城トンネル 米津台場跡
伊場遺跡 犀ヶ崖古戦場 江川家住宅 高山陣屋 畳石
桶狭間古戦場new
近畿
寺田屋 落柿舎 甘樫丘 石舞台 高松塚古墳
朱雀門 井筒屋 大阪城採石場 御手洗井 池田屋跡
粟田口 長屋門附塀 インクライン 水路閣(琵琶湖疎水)
中国
武家屋敷 松下村塾 多胡家表門 藩校養老館 馬場先櫓
大岡家老門 維新の志士の通り
* 動画が入っているため表示に少し時間がかかります

コメント
このページへのコメント
コメントを書いてください。


おなまえ:

メールアドレス(任意):

ホームページ(任意):
  設定を保存しますか? はいいいえ  
このページへの コメント:
トラックバック
このエントリーのトラックバックURI: http://www.uchiyama.info/oriori/cgi-bin/blog/mt-tb.cgi/1277




Google
 
Web 写真紀行・旅おりおり

「写真紀行・旅おりおり」の画像を利用したい場合は、「問い合わせ」より連絡してください。
Copyright (C) 2002-2008 www.uchiyama.info. All Rights Reserved.


写真紀行・旅おりおり花紀行・花おりおり
昨日 今日 総PV