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川柳は江戸時代に江戸で生まれた17音の庶民文芸として今日に伝わっていいる。川柳の名称は宝暦7年(1757)に浅草新堀端にはじまったが、明和2年(1765)7月、呉陵軒可有という人が、初代川柳評の前句付万句合の勝句(入選句)から17音の付句のみで鑑賞でき深い笑いのある句を選び、今日〈川柳の原点〉とも呼ばれる「誹風柳多留」を刊行した。このことにより川柳は〈17音独立文芸〉として確立され、後に全国へと広がっておった。
この付近には、誹風柳多留の版元・星運堂(花谷久次郎)があり、俳諧書などを刊行するかたわら、3代にわたり、誹風柳多留を通じて〈川柳風〉の隆盛に貢献、川柳を「江戸文芸」の一つにまで育てた。「誹風柳多留発祥の地」は「文芸川柳発祥の地」でもある。
記念碑の「羽のあるいいわけほどはあひる飛ぶ」の句は「木綿」を号とした誹風柳多留の編者・呉陵軒可有(ごりょうけんあるべし)の作です。 |
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