樋口一葉は、父の死後母妹と共に、次兄虎之助のもとに身を寄せた。しかし、母と虎之助との折り合いが悪く、明治23年(1890)3月、3人は旧菊坂町70番地(この路地の菊坂下道に向かって右側)に移ってきた。ここは安藤坂の萩の舎(はぎのや)(一葉が14歳から没するまで通った歌塾)に近い所であった。
明治25年(1892)5月には、この路地の反対側の下道に面したところ(菊坂町69番地)に移った。
ここでの2年11ヶ月(18〜21歳)の一葉は、母と妹の3人家族の戸主として、他人の洗濯や針仕事で生計を立てた。おそらく、ここにある掘抜井戸の水を汲んで使ったと思われる。 きびしい生活の中で、萩の舎の歌作、それに必要な古歌や古典の研究をし、上野の図書館にも通い続けた。そして、萩の舎での妹弟子田辺花囿の影響で、小説家として立つ決意を固め、半井桃水に小説の手ほどきを受けた。
明治25年(1892)3月「武蔵野」創刊号に小説「闇桜」が掲載された。また、小説と共に貴重な日記はここに住んだ明治24年(1891)4月1日から書き始められている。いわば、ここは一様文学発祥の地と考えられる。菊坂上通りに、一様や母がよく通った質店が今もあり、その土蔵は一様当時のものである。下の土蔵がそれである。 |