写真紀行・旅おりおり トップページへ 旅先で出会った印象的な一こま、街角でふと見つけたなつかしい景色などの写真紀行


印象に残る景色
街角灯台横丁・小路
史跡を訪ねる
街道を行く史跡城・城跡
人物奥の細道墓地・終焉の地PLAY BACK
建築・構造物の巧みさ
伝統的建築先端建築神社
テ−マパ−ク垣根
四季の風景
山・峠川・滝湖・池・沼
海・海岸
産業
伝統・地場産業漁港温泉自動車機関車・電車
往来・交通の景観
沿線風景路面電車道風景通り
祭・歌の舞台
祭・イベント歌の舞台夜景
食・その他
食紀行リンク集管理人備忘録

写真紀行・旅おりおり 更新情報

徳川家康 人の一生は重荷を負て遠き道を行くか如し急くへからす   静岡県静岡市
徳川家康
徳川家康 徳川家康お手植えのミカン
 有名な言葉ですが、後の世の人の作ともいわれています。(駿府公園にて)徳川家康は、三河国に岡崎城主・松平広忠の嫡男として生まれる。幼少期を織田・今川の人質として過ごしたが、桶狭間の合戦(1560)での今川義元の敗死を機に自立。織田信長と豊臣秀吉の天下統一に協力し、三河・駿河・遠江・甲斐・信濃の5カ国の主から、小田原攻めの後は、関東に移る。関ヶ原の合戦(1600)に勝利して天下人となり、1603年に征夷大将軍に叙せられ、本拠地の江戸に幕府を開いた。将軍職を退いた後も、駿府(静岡)で大御所として君臨した。(1542〜1616年 在職 1603〜1605年)
臨済寺 臨済寺
手習之間 手習之間
 徳川家康は、竹千代時代の天文18年(1549)8歳のときから、今川家の人質として12年間、臨済寺の太原雪斉から文武両道を学んだ。後年、家康が天下を治め、徳川300年の基礎をつくった素地は、ここでの幼年時代に培われたといえる。上段が臨済寺、下段が家康(竹千代)「手習之間」である。
徳川家康の言葉
 「ややももすれば己が好みにひかれ、わがよしと思ふ方をよしと見るものなり。人には其長所のあれば、己が心を捨て、ただ人の長所をとれ」 

 外部リンク  日本観光振興協会  静岡観光  国立歴史民俗博物館

地図

人物
伊藤左千夫 緒方洪庵 上野彦馬 石川啄木
亀井勝一郎 クラーク博士 国木田独歩 金田一京助・春彦 幸田露伴
賀茂真淵 金原明善 楠部弥弌 小泉八雲 木戸孝允
銭形平次 サトーハチロー 西郷従道 白井鐵造 清水次郎長
西園寺公望 志賀直哉 渋沢栄一
徳富蘆花 徳田秋声 滝沢馬琴 谷崎潤一郎 徳川家康
高蛹虫沽Ynew 豊田佐吉 竹久夢二 高山彦九郎 徳川吉宗
高杉晋作
新渡戸稲造 野口英世 夏目漱石 永井荷風 西田幾多郎
西周 永井隆
函館四天王 堀部安兵衛 二葉亭四迷 樋口一葉 林芙美子
御木本幸吉 円山応挙 真下飛泉 森鴎外 正岡子規
蓮如上人

コメント
このページへのコメント
コメントを書いてください。


おなまえ:

メールアドレス(任意):

ホームページ(任意):
  設定を保存しますか? はいいいえ  
このページへの コメント:
トラックバック
このエントリーのトラックバックURI: http://www.uchiyama.info/oriori/cgi-bin/blog/mt-tb.cgi/2471




Google
WWW を検索 写真紀行・旅おりおり を検索

写真紀行・四季おりおり花紀行・花おりおり京都写真紀行写真紀行・海外おりおりの旅

「写真紀行・旅おりおり」の画像を利用したい場合は、「」より連絡してください。
Copyright (C) 2007-2012 写真紀行(uchiyama.info) All Rights Reserved.