<宮本武蔵と洛北・一乗寺>
洛北・一乗寺は、吉岡道場数十名の門弟たちと武蔵の闘いの地であり、吉川英治の名作『宮本武蔵』の中でも重要な場面の舞台となったところです。壮絶な闘いが展開されたのは一乗寺下り松。現在では4代目となっているが、古より、京の町と比叡山との境に立つ銘木です。そして、いかに剣聖といえど一人で多勢と闘いに挑む心に、瞬間、恐怖が宿ったのでしょうか。決闘の地へ向かう武蔵が祈りを捧げようとした社が、八大神社であり、境内には今も下り松の古木が残っている。
<随筆 宮本武蔵>(吉川英治より)
武蔵が一乗寺下り松に立って多数の敵にまみえた日のまだ朝も暗いうちに、彼は、死を期したこの危地へ来る途中で、八大神社の前で足を止めて、「勝たせたまえ。きょこそは武蔵が一生の大事。」と彼は社頭を見かけて祈ろうとした。拝殿の鰐口(わにぐち)へまで手を触れかけたが、そのとき彼のどん底からむくむくわいた彼の本質が、その気持ちを一蹴して、そのまま下り松の決戦の場所へ駆け向かったという。
武蔵が自分の壁書としていた独行道のうちに、
我れ神仏を尊んで神仏を恃(たの)まず
と書いているその信念は、その折ふと心にひらめいた彼の悟道だったにちがいない。
武蔵にこの開悟を与えたことに依って、一乗寺下り松の果し合いはただの意趣喧嘩とはちがう一つの意味を持ったものと僕はそう解釈する。
<八大神社>
永仁2年(1294)3月15日勧請(今より約700年前)。祇園八坂神社と同神に座し古来より北天王(北の祇園)と称し、皇居守護神12社中の一にして、都の東北隅表鬼門に位置し、方除、厄除、縁結び、学業の神として世の信仰厚く、後水尾天皇、霊元天皇、光格天皇、修学院離宮行幸のみぎり立ち寄り白銀等奉納あり。 |