写真紀行・旅おりおり トップページへ 旅先で出会った印象的な一こま、街角でふと見つけたなつかしい景色などの写真紀行

四季の風景
山・峠川・滝湖・池・沼海岸春模様
印象に残る景色
街角灯台沿線風景路面電車横丁・小路町家小路道風景
建築・構造物の巧みさ
伝統的建築先端建築神社通りテ−マパ−ク垣根
個性輝く
今を生きる趣味遊ゝ永遠に
史跡を訪ねる
街道を行く史跡城・城跡人物細道墓地・終焉の地生誕地・生家PLAY BACK
産業
伝統・地場産業漁港温泉自動車
祭・歌の舞台
祭・イベント歌の舞台
食・その他
食の徒然草リンク集管理人備忘録

写真紀行・旅おりおり 更新情報
石川啄木 啄木新婚の家   岩手県盛岡市
啄木新婚の家
啄木新婚の家 啄木新婚の家
啄木新婚の家 啄木新婚の家
 詩人石川啄木は、明治38年(1905)5月、東京で処女詩集「あこがれ」を出版しそれをみやげに帰郷の途についたが、金策の必要から途中仙台に下車して土井晩翠をその居に訪ねた。仙台医学専門学校には郷友、猪狩見竜、小林茂雄らが在学中で、彼らと遊んで滞在すること10日におよんだ。その間、盛岡市帷子(かたぴら)小路八番戸の借家には月末の30日に結婚式を挙げるべく婚約者の堀合節子がその帰宅を待ちわびていた。しかし、啄木は遂に姿を見せなかった。そこでその夜級友上野宏一(画家)で媒酌で珍妙な「花嫁のいない結婚式」が行われた、それがこの家である。仙台をたった啄木は盛岡駅を素通りして渋民に行き、ようやくこの家に顔を見せたのは6月4日だった。ここではじめて新婚の夫婦と両親、妹光子の5人が揃って家庭をもったのである。時に啄木は20歳。この家で稿を起こした随筆「閑天地」は連日、岩手日報の紙上をにぎわし、「我が四畳半」はよく新婚の夢あたたかな情景を描いている。ほかに「妹よ」、「明滅」、「この心」の作がある。
 啄木一家がここに在ること3週間、6月25日には中津川のほとり加賀野磧(かわら)町四番戸に転居した。
 現在、盛岡市内の啄木遺跡といえるのは「啄木新婚の家」だけである。
蓋平館別荘跡    東京都文京区
蓋平館別荘跡
蓋平館別荘跡 蓋平館別荘跡
 石川啄木(一(はじめ)1886〜1912)は、明治41年(1908)5月、北海道の放浪から創作活動に入るため上京し、赤心館(オルガノエ場内・現本郷5−5−6)に下宿した。小説5編を執筆したが、売り込みに失敗、収入の道なく、短歌を作ってその苦しみをまぎらした。歌碑の「東海のーーー」の歌は、この時の歌である。
 赤心館での下宿が滞り、金田一京助に救われて、同年9月6日、この地にあった蓋平館別荘(がいへいかん)に移った。3階の3畳半の室に入ったが、「富士が見える、富士が見える。」と喜んだという。ここでは、小説『鳥影』を書き、東京毎日新聞社に連載された。また、『スバル』が創刊され、啄木は名義人となった。北原白秋、木下杢太郎や吉井勇などが編集のために訪れた。
 東京朝日新聞社の校正係として定職を得、旧本郷弓町(現本郷2−38−9)の喜の床に移った。ここでの生活は9ヵ月間であった。蓋平館は、昭和10年頃、大栄館(たいえいかん)と名称が変わったが、その建物は昭和29年の失火で焼けた。
 父のごと 秋はいかめし
 母のごと 秋はなつかし
 家持たぬ児に
   (明治41年9月14日作 蓋平館で)

東北
石川啄木
関東
国木田独歩 堀部安兵衛 金田一京助・春彦 銭形平次 夏目漱石
二葉亭四迷 徳富蘆花 徳田秋声 樋口一葉
中部
徳川家康 高蛹虫沽Y 白井鐵造 御木本幸吉new
近畿
緒方洪庵 佐久間象山 円山応挙 高山彦九郎 宮本武蔵
竹久夢二
中国
小泉八雲 西田幾太郎 林芙美子 志賀直哉 西 周
四国
正岡子規

コメント
このページへのコメント
コメントを書いてください。


おなまえ:

メールアドレス(任意):

ホームページ(任意):
  設定を保存しますか? はいいいえ  
このページへの コメント:
トラックバック
このエントリーのトラックバックURI: http://www.uchiyama.info/oriori/cgi-bin/blog/mt-tb.cgi/1903




Google
 
Web 写真紀行・旅おりおり
JTB HIS 日本旅行 近畿日本ツーリスト 東急観光 阪急交通社 MSNトラベル じゃらんnet Yahooトラベル えきねっと 楽天トラベル

「写真紀行・旅おりおり」の画像を利用したい場合は、「問い合わせ」より連絡してください。
Copyright (C) 2002-2008 www.uchiyama.info. All Rights Reserved.


写真紀行・旅おりおり花紀行・花おりおり
昨日 今日 総PV