写真紀行・旅おりおり トップページへ 旅先で出会った印象的な一こま、街角でふと見つけたなつかしい景色などの写真紀行

四季の風景
山・峠川・滝湖・池・沼海岸春模様
印象に残る景色
街角灯台沿線風景路面電車横丁・小路町家小路道風景
建築・構造物の巧みさ
伝統的建築先端建築神社通りテ−マパ−ク垣根
個性輝く
今を生きる趣味遊ゝ永遠に
史跡を訪ねる
街道を行く史跡城・城跡人物細道墓地・終焉の地生誕地・生家PLAY BACK
産業
伝統・地場産業漁港温泉自動車
祭・歌の舞台
祭・イベント歌の舞台
食・その他
食の徒然草リンク集管理人備忘録

写真紀行・旅おりおり 更新情報
岸壁の母 引き揚げ桟橋   京都府舞鶴市
引揚桟橋
引揚桟橋 岸壁の母
引揚桟橋 興安丸の時鐘
 第2次世界対戦の終結後、海外に残された日本人は、軍人・軍属が330万人、一般邦人が300万人以上といわれ、これらの人々は、短期間にしかも一斉に帰国しなければならなくなった。政府は、昭和20年9月28日、舞鶴、浦賀、呉、下関、博多、佐世保、鹿児島、横浜、門司を引揚港に指定して業務を開始した。この膨大な、海外からの引き揚げは、国内から駆けつけた肉親との再開は明暗と哀歓を織りまぜた人生の一大ドラマだった。同33年9月の最終船入港までの13年間、数多くの新聞、報道関係の記者、カメラマンの取材によって、内外に報道された。
 特に舞鶴は昭和25年以降、国内唯一の引揚港として最後まで重要な役割を果たした。 (舞鶴市HPより引用)
 舞鶴市役所

「 岸壁の母 」

 作詞 藤田まさと  作曲 平川浪竜  台詞 室町京之介   唄 菊池章子
1番

母は来ました 今日も来た 
この岸壁に 今日も来た 
とどかぬ願いと 知りながら
もしやもしやに もしやもしやに
ひかされて

『また引揚船が帰って来たに、今度もあの子は帰らない……
この岸壁で待っているわしの姿が見えんのか……
港の名前は舞鶴なのに何故飛んで来てはくれぬのじゃ……。
帰れないなら大きな声で……
お願い……せめて、せめて一言……』
2番

呼んで下さい おがみます
ああ おっ母さん よく来たと
海山千里と 云うけれど
なんで遠かろ なんで遠かろ
母と子に

『あれから十年……あの子はどうしているじゃろう。
雪と風のシベリアは寒いじゃろう……
つらかったじゃろうといのちの限り抱きしめて……
この肌で温めてやりたい……その日の来るまで死にはせん。
いつまでも待っている……』
3番 悲願十年 この祈り
神様だけが 知っている
流れる雲より 風よりも
つらいさだめの つらいさだめの 杖ひとつ
『ああ風よ、心あらば伝えてよ。
愛し子待ちて今日も又
怒涛砕くる岸壁に立つ母の姿を……』
 
                                  MIDI programed by K.Kebuta

東北
津軽海峡冬景色 *
関東
アメリカ橋 あゝ上野駅 矢切の渡し 赤い靴 たきび
神田川 かもめの水兵さん 鉄道唱歌 男はつらいよ
中部
天城越え 椰子の実
近畿
岸壁の母 紅萌ゆる丘の花 月の法善寺横町 あゝ新撰組new
中国
関の五本松
* 動画が入っているため表示に少し時間がかかります

コメント
このページへのコメント
コメントを書いてください。


おなまえ:

メールアドレス(任意):

ホームページ(任意):
  設定を保存しますか? はいいいえ  
このページへの コメント:
トラックバック
このエントリーのトラックバックURI: http://www.uchiyama.info/oriori/cgi-bin/blog/mt-tb.cgi/1332




Google
 
Web 写真紀行・旅おりおり

「写真紀行・旅おりおり」の画像を利用したい場合は、「問い合わせ」より連絡してください。
Copyright (C) 2002-2008 www.uchiyama.info. All Rights Reserved.


写真紀行・旅おりおり花紀行・花おりおり
昨日 今日 総PV