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遠州鉄道・奥山線 軽便鉄道   静岡県浜松市
遠州鉄道・奥山線
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 この鉄道路線は、かつて静岡県浜松市から浜名湖北岸まで走っていたが、昭和39年(1964)に廃止された軽便鉄道です。元は濱松軽便鉄道であったが、戦後に遠州鉄道と合併し、遠州鉄道・奥山線となった。
 奥山には臨済宗方広寺派大本山の方広寺(奥山半僧坊)があることで知られ、浜松市の中央部にある遠鉄浜松駅(現在の遠州鉄道・遠州病院駅)から三方原台地を通って奥山駅(現在廃駅)までを結んでいた全長25.7qの単線であった。
 画像は、木村好次さんが昭和35年(1960)年1月15日に撮影したもので、ご厚意によりここに掲載している。
 動画は遠州鉄道製作です。
<コメント@>
 浜松市街地中山町で戦災に遭い焼け出された両親は、中沢町の母方の実家で私を生み居候生活をしていました。 戦後、高台の静大工学部の西側に建てられた県や市の住宅に応募して、50倍の難関突破で市営住宅に入居できたことは、人生最大のラッキーな出来事だった、とよく亡父は話していました。まもなく払い下げられて自分のものとなった60数坪ほどの狭い敷地の小さな家でも、サラリーマンの父には結構支払いが大変だったようです。
 この家の庭に野菜を作って食を満たしたようですが、私の記憶の中には野菜畑はなく、その代わり庭には、今でも珍しい洋花が四季折々咲き乱れ、ポポーやあんせい柑などの果物の木には実がたわわになっていました。 母方の祖母は戦前に没落した大きな農園の娘だったらしく、その弟は奥山の開拓団に参加して花木栽培に活路を見出したようです。  
 私は子供の頃、母に連れられて山の上に建つこの母の叔父さんの家をよく訪ねました。その時、あの軽便と呼ばれた奥山線の電車に乗った記憶があります。 珍しい庭の洋花や果物の苗は奥山のこの叔父さんの家から母が調達した賜物だと思います。奥山は今では花木栽培で成功しているようです。
 小学校は追分でしたので、学校帰りに仲間たちと奥山線の線路に耳を当てて、やがて走りくる軽便の音を聞いたものです。駅長さんは気をつけろと言うだけで、叱ることもしませんでした。高校のころはこの奥山線で通っている同窓生もたくさんいました。今ではなくなってしまった「3本ラインにイカネクタイの制服」を久々に画面で拝見し、 当時を偲ぶことができました。
 先日、松山から広沢の実家に帰省していた高校時代からの友人とこの線路跡の「広沢トンネル」を抜けてホテルコンコルドでお茶をしました。そしてこのトンネルを抜けると広沢からコンコルドまでは本当に近いことを実感しました。懐かしい風景です。ありがとうございました。(Sさんより)
<コメントA>
 懐かしく拝見させて頂きました。小学生のころ遠足で奥山半僧坊に行き、三重塔と共に脳裏に焼き付いて当時の景色 、又、私が就職して最初に出張したのが萩丘小学校でした。之も、元城から軽便を利用し当時は、学校も茶畑に囲まれ木造平屋建てで今日では、想像も及ばぬ景色でした。これら時代を遡って懐かしく拝見いたしました。本当に懐かしい記録・有難うございました。(Tさんより)
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