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小田原電気鉄道 (小田原市内電車) は、明治33年(1900年)に開業した我が国で4番目の電車で、国府津一湯本間12.9qの軌道線です。大正9年(1920)
小田原駅が開業すると、熱海線国府津〜小田原間が開通し、軌道線は小田原駅に乗り入れた。昭和10年(1935) になると小田原駅〜箱根板橋間2.4qの町内電車となり、国道1号線を走り「チンチン電車」の愛称で親しまれた。
昭和30年(1955)頃になると自動車の普及による交通の混乱を考え、昭和31年(1956)5月31日に廃止。
当時の車両のうち5両が長崎県の長崎電気軌道に譲渡され、昭和60年(1985)頃まで現役車両として活躍していた。151号は平成31年(2019)3月にさよなら運行を行い、令和3年(2001)2月、当地に202号として設営された。
この車両202号は、昭和27年(1952)から小田原駅と箱根板橋駅の間を走った車両のひとつです。当時は都電時代と同じ木造車だった。廃止後、鋼製車に改造して長崎電気軌道で走った。東京・小田原・長崎の架け橋となってくれた車両です。製造所
東京瓦斯電気工業。
全長 |
11,000ミリ |
高 |
3,783ミリ |
幅 |
2,261ミリ |
自重 |
15.0トン |
定員 |
80人 |
製造年月 |
大正14年 |
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<この車の経歴書>
形式 モハ20 車両番号 202号 車種 半鋼製ニ軸ボギー車
大正14年 |
王子電気軌道409号として就役 |
昭和17年 |
東京市電気局に統合され109号と改む |
昭和23年 |
戦災で廃車となった車両の番号を詰め102号に改番 |
昭和27年 |
箱根登山鉄道 小田原市内線202号となる |
昭和32年 |
板橋車庫で車体造替長崎電気軌道152号となる |
昭和48年 |
低床式に改造(熊本市電の台車を譲受装備) |
昭和62年 |
初代151号が廃車本車は2代目151号に改番 |
昭和62年 |
青と黄の小田原市内線カラーに塗替 |
平成31年 |
3月30日の運行を以って引退 |
令和2年 |
小田原へ帰還202号として保存 |
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(画像提供: K.I さん) |
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