京都「町家小路」写真紀行   京都「町家小路」を写真と文で紹介

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今出川通 平安京の北小路   京都市上京区
今出川通・白峯神宮
 平安京の北小路にあたる。名前の由来は、鴨川分流の今出川が東洞院通から京極大路(現在の寺町通)まで通りに沿って流れていたことによる。今出川通は東は銀閣寺、西は北野天満宮の南を通り更に西に通じている。通りが長いので約半分程散策する。
今出川通 今出川通
 同志社大学と京都御苑に挟まれた烏丸今出川から西に向かって歩き始める。室町通との交差点の角に「室町幕府の碑」がある。この一帯に室町幕府があった。
今出川通・白峯神宮 今出川通・白峯神宮
今出川通・白峯神宮 今出川通・白峯神宮
今出川通・白峯神宮「オガタマノキ」 今出川通・白峯神宮「飛鳥井の名水」
 油小路通を過ぎたところに白峯神宮がある。球技関係、特にサッカー関係者の奉納が目につく。Jリーガーの名前を見える。
白峯神宮
 白峯神宮は、崇徳天皇及び淳仁天皇を祀る。明治天皇は父孝明天皇の遺志を継ぎ、保元の乱により讃岐国(香川県)へ配流になった崇徳天皇の慰霊のため、明治元年(1867)讃岐の白峯陵より神霊を迎えて、創建された。
 次いで明治6年(1873)には奈良時代に僧道鏡と恵美押勝の争いにより、淡路島に配流の淳仁天皇の神霊を迎えて合祀された。
 この地は蹴鞠(けまり)・和歌の宗家飛鳥井家の邸跡で、同家の守護神「まり精大明神」が祀られ球技愛好者に崇敬されている。他に「伴緒社」「潜龍社」などの境内社があり、「おがたまの木」は京都市の天然記念物に指定されている。
オガタマノキ
 慶応4年(1868)創建の、ここ白峯神宮の社地は、蹴鞠(けまり)と和歌の家元であった飛鳥井家の邸跡にあたる。このオガタマノキは、樹齢が数百年と考えられることから飛鳥井家の邸宅であった時代に植えられていたものと見られる。
 オガタマノキは、春に芳香のある花を咲かせ、その名は招霊(おきだま・神霊を招く)がなまったものという説もある。社寺の境内によく植えられる木であるが、この木が京都市内で最大のものである。昭和60年(1985)6月1日、京都市指定天然記念物に指定された。
 歌碑作品
   小賀玉のしじ葉が もとの 飛鳥井の井筒 むかしの物語せよ  西村尚
飛鳥井の名水
 平安時代の才女・清少納言が「枕草子」の中で、「井は、飛鳥井、少将の井、桜井……」と、九つの井戸を名水に挙げている。その筆頭とされた飛鳥井は、かつて二条万里小路にあったが、いまは飛鳥井家の屋敷跡に建つここ白峯神宮の境内に残る。三方を山で囲まれた京の地形が、雨水を地中深く伏流させ、豊かな水脈となって地下に貯えられている。飛鳥井の沸きいづる泉水は、清らかに澄み、味あくまでもなめらかにして、神気みちる名水である。
今出川通 今出川通
 堀川通を渡ると右手(北側)に「西陣」と書かれた大きな石碑がある。京都考古資料館の前である。
今出川通 今出川通
今出川通・般舟院陵 今出川通
 今出川通は道幅が広く車の往来も多い。新しい建物が目立つが、所々には昔ながらの家も見かける。皇室関係の「般舟院陵」がある。
今出川通・千本通との交差点 今出川通
 千本通との交差点まで来る。真夏の強い陽射しを避けて木陰で一休み。交差点の角にお茶屋さんがある。
今出川通・茶くれん寺 今出川通・茶くれん寺
今出川通・茶くれん寺 今出川通・茶くれん寺
 千本通をわたると浄土院がある。浄土院は別名を「茶くれん寺」と呼ばれている。
茶くれん寺
 太閤ゆかりの史跡  湯たく山 茶くれん寺
 天正15年(1587)、豊臣秀吉が「北野大茶湯」に向かわれる折、当院に立ち寄られ茶を所望された。自分の未熟な茶を振る舞うのを無礼に思った住職は、井戸に湧き出る銀水をそのまま味わっていただこうと白湯を献じた。
 一方の秀吉は、お茶を頼んでも頼んでも出てくるのは白湯ばかりで驚かれたが、そのうちに住職の想いを悟られてお笑いになりながら「この寺では、お茶を頼んでいるのに白湯ばかり、お茶をくれん。湯たくさん茶くれん。」と言われた。
 それからというもの、当院浄土院は「湯たく山茶くれん寺」と呼ばれるようになったと伝えられている。
今出川通 今出川通
 上七軒交差点に向かって歩く。交差点の手前に町家を活かした店がある。若いご主人が掃除をしている。心惹かれる佇まいなのでここのお店は?と伺う。今風のゴテゴテと飾り立てるものは何もない。「小さな骨董屋ですよ」と言う。ガラスケースや立派な飾り棚などではなく、板の上に並んでいる茶碗やお皿など。
 「京都は暑いですね。」と言うと「まだ今日はいい方ですよ。昨日などは倒れた人が出たんですよ。」「北野天満宮に行かれるなら、上七軒を通って行くといいよ。京の風情があるから。」
 ご主人の人柄がよく出ている店構えだと感心する。またここを通るときには寄ってみたいものだ。
上七軒 上七軒
上七軒 上七軒
 上七軒交差点まで来る。先ほどの店のご主人が言ってくれたように今出川通から外れるが上七軒方面へ向かう。
上七軒
 今出川通七本松西入から北野天満宮東門に至る両側で、真盛町・社家長屋町・鳥居前町の地域。「京都府下遊郭由緒」の伝えるところによると、往古より七軒茶屋と相唱、足利氏武勝の頃、北野天満宮再建の残木を以て七軒の水茶屋を神社東門に建てたことから上七軒の名称が起こったという。
 その後、豊太閤秀吉、北野大茶会の折、上七軒から差し出された土地の名産、御手洗団子を賞誉有之、山城一円の茶屋株を与えられた。これにより上七軒のお茶屋では御手洗団子を「定紋」とし、毎年、秀吉を祀る豊国神社に御手洗団子を奉納する慣わしがあった。
 4月上旬「北野おどり」、10月には「寿会」が芸妓衆によって開催される。京都最古、第一の遊里である。
今出川通 今出川通・北野天満宮
 上七軒を見て再び上七軒交差点まで戻る。途中、屋根に様々な瓦を載せている家を見る。やがて北野天満宮の大きな鳥居が見えてくる。今出川通は更に西に伸びているが、真夏の散策はここでひとまず終わりとした。 

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