京都「町家小路」写真紀行   京都「町家小路」を写真と文で紹介

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室町通 室町幕府   京都府京都市中京区
室町通
 四条通りから室町通に入り一路北上する。
 平安京開設時の室町小路に当たる通り。足利義満がこの通り沿いに、永和4年(1378)、「花の御所(室町幕府)」を造営したことから、一つの通名が一時代の名称にまでなった。室町幕府当時、室町小路では多数の裕福な商人が軒を並べていた。室町幕府は、今出川通東北一帯にあった。応仁・文明の乱で荒廃したが、いち早く復興した。
菊水の井跡 菊水の井跡
旧明倫小学校・京都芸術センター 祇園山鉾・会所
 中世、室町時代、当地に夷を祀る社があり、社殿の隅に名水、「菊水の井」があった。茶道の始祖千利休が師事した、茶人の先覚者武野紹鴎は、この井をこよなく愛し、此処に庵を結び茶亭を大黒庵と称した。菊水の井と呼ばれる所以は、能楽「菊慈童」から着想「菊の景より滴る露を飲み長寿を得た」という中国の故事に起因する。当ビル建設に当たり、跡地に旧井戸より発見された「菊水」の文字入りの井桁組み石等を利用して建立した。菊水鉾はこの「菊水の井」に因んで名付けられた。(ビル前の説明文より)「菊水の井」跡の横には「大黒庵旧跡」を記す碑も立っている。
 「菊水の井」から少し進むと旧明倫小学校の建物がある。ここは京都芸術センターである。この辺りは、祇園山鉾の会所がある。
室町通 室町通
室町通・誉田屋 室町通・誉田屋
室町通・永楽屋 室町通・永楽屋
 三条通りと交差するが、その前後には特色ある店がある。繊維呉服の大店「誉田屋」や「永楽屋 細辻伊伊兵衛商店(永楽屋)」など目を惹く。
 「永楽屋 細辻伊兵衛商店(株式会社エイラクヤ)」という名の由来は戦国時代、織田信長から命をうけ先祖が出陣した際、直垂(ひたたれ)に永楽通宝の紋が入っていたことからその名を取って付けたといわれている。江戸初期の元和年間(1615〜24)に創業して以来約380年。14代にわたって綿織物商を営んできた。
 この度、明治初期から昭和にかけて染め上げた手拭を復元した。職人技が生み出した芸術品ともいえる自由な図柄と古来より日常多様に使われてきた伝統であり、庶民の文化でもある「町家手拭」をお手元にお届けいたしたく「永楽屋 細辻伊伊兵衛商店」を再開した。平成12年1月吉日(永楽屋の説明文)
 店内に入ると斬新なデザインの手拭いが並べられている。あたかも調度品のような素晴らしい手拭いばかりで目が釘付けといった感じである。
室町通 室町通
室町通と御池通の交差点 室町通と御池通の交差点
 永楽屋から更に北に向かって歩く。室町通はやがて御池通と交差する。御池通は大きな道で交通量も多い。横断歩道で待っていると正面に人目を惹く大きな建築物がある。
室町通 室町通
亀廣保 三井越後屋京都本店記念庭園
 御池通を渡って少し行くと風雅な店構えが見える。ススキの穂が静寂観を醸し出している。次は京菓子の「亀廣保」である。日曜日のため休店。のれんもかかっていない。二条通との交差点脇に「三井越後屋京都本店記念庭園」がある。ここは三井越後屋が京都本店を置いた所である。三井越後屋は後に三井財閥を作っていった。
豆腐売り 豆腐売り
 豆腐売りに出合う。「トーフ、トーフ」というあの懐かしいラッパの音色とともに。ここにはまだかつての生活風景がある。しばし立ち止まる。
室町通 室町通
室町通 室町通
 12月も半ばであるが、晩秋の紅葉が見られる。
斯波氏武衛陣・足利義輝邸遺跡碑 旧二条城跡碑
 左右に平安女学院の校舎がある。その自転車置き場の間に「斯波氏武衛陣・足利義輝邸遺跡」の碑がある。斯波氏は室町幕府の管領である。織田信長が足利最後の将軍義昭の館をここに造っている。織田信長が本能寺の変で死んだ後、長男の信忠がこの辺りで自刃した。二条御所と呼ばれた館も焼失しており、その碑が平安女学院を越した下立売通の角にある。
山田松香木店 室町通
富岡鐵斎邸跡 室町通
本田味噌本店 室町幕府の碑
 斯波氏の石碑を越すとお香の老舗である山田松香木店が見える。室町通と交差している小さな路地の右手(東側)には御所が見える。府議会議員の宿舎になっている建物の角に「富岡鐵斎邸跡」の石碑がある。石碑の後ろにある説明版には次のように記されている。
 富岡鐵斎は近代日本の南画を生んだ巨匠として知られる画家である。天保10年(1836)、三条衣棚に法衣商を営む十一屋伝兵衛・富岡維叙の次男として生まれ、石田梅厳の石門心学を重んずる家風の中に育ち、儒教並びに仏教の学に親しだ高士的学者をもって任じていたが、当時の一大風潮となっていた南画を学ぶにおよんで天性の画才を発揮し、比類まれな渾厚老蒼の作品を精力的に産出した。
 当処はこの鐵斎が明治15年(1882)から大正13年(1924)12月31日に没するまで40有余年の朝夕を過ごし、鐵斎芸術の全貌があらわになったゆかりの深い旧跡である。その晩年に建てられた画室は無量寿佛堂と名付けられて現存している。(文字がはっきり分からない部分があるので正確ではないかもしれない)
 富岡鐵斎邸跡を越すと本田味噌本店があり、今出川通に出る。今出川通との交差点北東の角に「室町幕府の碑」がある。この一帯に室町幕府があった。 

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