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 <古い形を保った橋、最先端の橋などを巡る写真紀行

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五条大橋 牛若丸と弁慶   京都市下京区
五条大橋
五条大橋 五条大橋
牛若丸と弁慶の像 五条大橋
 牛若丸と弁慶が出会ったという有名な橋で、牛若丸と弁慶の像が西詰の緑地に立っている。もともとの五条大橋は、平安京の五条大路の東の端、今の松原橋の位置にかかっていたが、豊臣秀吉が天正年間に方広寺大仏殿造営の際に現在地に移した。
大田垣蓮月の歌碑 大田垣蓮月の歌碑
 橋のたもと付近に大田垣蓮月の歌碑がある。
太田垣蓮月> 
 江戸後期の女性歌人。夫と子供の死を機に出家、「蓮月」と名乗る。自作の短歌を独自の書体で入れた陶器が「蓮月焼」の名でヒットした。
 多くの文人との逸話もあるが、幼い富岡鉄斎の学問修業の援助をしたのは有名。幕末、明治・大正にかけてその名が広く知られていたいたことは、時代祭の行列に登場していることからも分かる。
 歌集に「海女のかる藻」がある。
 幕末、京の町が騒がしくなった72歳の時に、西賀茂神光院茶所に移り、明治8年(1875)、84歳で没。墓は西賀茂西芳寺にある。墓石の字は富岡鉄斎。(太田垣義夫)
 あすも来て 見んと 思えば 家づとに 
    手折るも をしき 山さくら花
  (「家づと」家に持ち帰るみやげ)
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