写真紀行・旅おりおり
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納沙布岬
日本本土最東端 北海道釧路市
日本本土最東端の地。北海道で一番早い日の出が見られる。 根室の日の出は、6月だと午前3時30分過ぎで、沖縄の那覇よりも約2時間も早い。
地名の由来は、アイヌ語の「ノッ・サム」(岬の傍ら)からきている。北方四島の島々が肉眼で見ることができるほど近接している。
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北方四島の大きさ
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(数字は面積、単位は平方q)
歯舞群島
95
小笠原諸島
104
色丹島
248
隠岐島(島後)
242
国後島
1,489
沖縄本島
1,207
択捉島
3,167
鳥取県
3,507
合計
5,003
福岡県
4,986
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納沙布岬からの距離
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(数字は距離、単位はq)
貝殻島
3.7
多楽島
45.6
水晶島
7.0
色丹島
73.3
秋勇留島
13.7
国後島
37.4
勇留島
16.7
択捉島
144.5
志発島
25.6
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寛政の蜂起和人殉難墓碑
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寛政元年(1789)5月、和人のアイヌ民族に対する脅迫や非道行為によって追い詰められた結果、国後島と現在の標津町、羅臼町付近のアイヌ民族が和人71人を殺害した。この出来事は、「クナシリ・メナシの戦い」と呼ばれ、最終的にノッカマップ(根室市牧の内)で戦いに関わったアイヌ民族37人が和人によって処刑された。
この墓碑は、殺害された和人71人の供養のために文化9年(1812)に造られたれたもので、明治45年(1912)、納沙布岬に近い珸瑶瑁の海中で発見されたという。現地で保存されていたが、昭和43年(1968)国後島を臨むこの地に移設された。
(表面)(梵字)横死七十一人之墓
(裏面) 政元年己酉夏五月此地凶悪
蝦夷結黨爲賊事起乎不意士庶
遇害者總七十一人也姓名記録
別在官舎乎茲合葬建石
(側面)文化九年歳在壬申四月建
不慮の死を遂げた七十一人の墓
寛政元年五月に、この地方の凶悪なアイヌが集まり、突然反乱を起こした。偶然居合わせた侍や漁民合計七十一人が殺された。その姓名の記録は役所にある。ここに合わせて供養しこの碑を建てる。
文化九年四月に建てる
墓碑裏面には、和人の視点からアイヌ民族が不意に襲ってきたとあるが、和人が殺害された原因はアイヌ民族への非道行為が原因であり、石碑の内容と史実は異なる。
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