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哲学の道 西田幾多郎   京都市左京区
哲学の道
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 「哲学」とは、古代ギリシャ語”フィロ・ソフィア”の日本語訳で、元々は「知を愛する」という意味でした。
 哲学者・西田幾多郎(1870〜1945・京大教授)もまた、知を愛する人でした。彼は、西洋哲学(プラトンからヘーゲルまで)を徹底的に研究した。西田博士は、研究・講義・読書のあい間をみては、銀閣寺疏水べりの道を毎日のように散歩をしていた。やがて、彼の弟子たちも彼のまねをするようになった。これを知った経済学者・黒正巌が、彼の散歩道を「哲学の道」と名付けた。
 晩年、西田博士はとうとう「哲学」を超えてしまった。そして、たどりついたのが「歎異抄」(愛の書)と「臨済録」(知の書)だったのです。
 まるでそれを予告するかのように、彼は代表作「善の研究」の中で言っている。
知と愛とは、別々の精神作用ではない。知れば知るほど、愛するようになり、愛すれば愛するほど、知るようになる」と−−−。
哲学の道 哲学の道
哲学の道 哲学の道
 明治23年(1890)、東山山麓に完成された。琵琶湖疏水に続く、分線沿いの桜並木約1.8qの散策路、これが「哲学の道」です。
 近隣には、銀閣寺をはじめ法然院・若王子神社・永観堂・南禅寺など、著名な社寺が点在し、京都の伝統的な歴史や文化が今も尚息づいている。
 昭和43年(1968)、地元住民の熱意あふれる環境保全整備の声に京都市がこたえ、哲学の道として整備された。以来地元住民や水道局による清掃や保全整備が図られており、春の桜、初夏のホタル、秋の紅葉と四季折々に市民の散策路として喜ばれている。
ゲンジボタル
 疏水分線の若王子橋から銀閣寺橋に至るここ「哲学の道」では、毎年5月下旬から6月にかけてゲンジボタルが多数見られる。
 ゲンジボタルがこの周辺に多い理由としては、ゲンジボタルの幼虫のエサになるカワニナが疏水に多く生息していること、疏水沿いは自然がよく保存されていること、疏水が管理された水路であり自然河川のような大増水がないことなどがあげられる。良好な自然環境の指標ともなっているゲンジボタルが市街地に接したところに生息していることは、大変意義深く、市民ぐるみで末長く保護すべきものとして、昭和59年(1984)6月1日京都市登録天然記念物に登録された。
哲学の道
哲学の道 哲学の道
哲学の道 哲学の道
 数年後の春四月、再び訪れる。桜の季節ではない時には静まりかえっている哲学の道だが、この季節は人の列である。満開の桜並木には目を見張る。
哲学の道・西田幾多郎の言葉 哲学の道・西田幾多郎の言葉
 西田幾多郎の言葉 「人は人吾はわれ也 とにかくに吾行く道を吾は行なり」
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