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万昌院(功運寺)は、もと千代田区永田町にあったが、のち新宿区の市谷・築土八幡をへて、大正2年現在地に移ってきた。
幕府高家の吉良家は、この寺を菩提寺としていた。義定(よしさだ)・義弥(よしみつ)・義冬(よしふゆ)・義央(よしなか)の4代にわたってその墓石・供養塔が建てられている。高さの違いはあるが、いずれも宝篋印塔(ほうきょういんとう)です。相輪部の彫りが深く、特に請花(うけばな)や笠部の隅飾突起(すみかざりとっき)は、どれも外方に向かって突出するなど江戸時代の作風を示している。
義央の石碑面に「元禄十五壬午十二月十五日」(2段目右画像)と刻まれているのは、赤穂浪士の討ち入りの際に死去した史実を裏付ける金石文として興味深いものです。
1段目画像の右側が吉良上野介義央の墓、3段目画像は墓の背後から撮っているので、左側が吉良上野介義央の墓になる。 |
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昭和55年(1980)義央の墓前には「吉良家忠臣供養塔」と「吉良邸討死忠臣墓誌」が建てられた。 |
名前 |
年齢 |
役職 |
戒名 |
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名前 |
年齢 |
役職 |
戒名 |
小林平八郎 |
53 |
家老 |
即翁元心居士 |
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天野定之丞 |
34 |
近習 |
洞山良栄信士 |
松原多仲 |
40 |
家老 |
廓然自照居士 |
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永松九郎兵衛 |
28 |
近習 |
空山達玄信士 |
鳥居利右衛門 |
60 |
用人 |
一峰暁颯信士 |
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山吉新八 |
不明 |
近習 |
悟岳妙宗信士 |
宮石新左衛門 |
50 |
用人 |
心空道安信士 |
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斉藤十郎兵衛 |
25 |
執事 |
祥雲明恵信士 |
堀江勘左衛門 |
32 |
祐筆 |
大岳恵光信士 |
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清水団右衛門 |
40 |
取次 |
秀法去宗信士 |
鈴木元右衛門 |
36 |
祐筆 |
永光妙念信士 |
|
岩瀬舎人 |
37 |
取次 |
祐道明善信士 |
清水逸(一)学 |
25 |
中小姓 |
瑞翁元的信士 |
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森半右衛門 |
不明 |
足軽 |
直翁元指禅定門 |
須藤与市右衛門 |
不明 |
中小姓 |
林桜栄明信士 |
|
大河内六郎左衛門 |
不明 |
足軽小頭 |
剣室宋寒禅定門 |
斉藤清左衛門 |
40 |
中小姓 |
本翁元来信士 |
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石川彦右衛門 |
不明 |
徒士 |
春峰禅定門 |
左右田源八郎 |
40 |
中小姓 |
釈了覚 |
|
(苗字?)曽右衛門 |
不明 |
仲間 |
了通禅定門 |
新貝与七郎 |
40 |
中小姓 |
罷翁元休信士 |
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横須賀権十郎 |
30 |
仲間 |
了聡禅定門 |
大須賀治郎右衛門 |
30 |
中小姓 |
諦寿院釈西念 |
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鈴木松竹 |
17 |
茶坊主 |
徹心禅定門 |
杉山三左衛門 |
25 |
中小姓 |
泰岳良禅信士 |
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牧野春斎 |
15 |
茶坊主 |
心翁元無禅定門 |
加藤太左衛門 |
55 |
中小姓 |
真宗明英信士 |
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小堀源次郎 |
22 |
料理番 |
釈順致 |
小堺源次郎 |
22 |
中小姓 |
冬雲玲光信士 |
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杉山与五左衛門 |
40 |
厩別当 |
夢外禅定門 |
鈴木杢右衛門 |
35 |
中小姓 |
大仙良貫信士 |
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(苗字?)若右衛門 |
不明 |
厩係 |
機法禅定門 |
伊藤喜左衛門 |
23 |
中小姓 |
寶應明観信士 |
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笠原長太郎 |
不明 |
不明 |
透関禅定門 |
榊原平右衛門 |
50 |
近習 |
天山俊功信士 |
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山崎新五郎 |
不明 |
不明 |
自正禅定門 |
宮石新平衛 |
21 |
近習 |
元空即心居士 |
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吉田六郎左衛門 |
不明 |
不明 |
祖門禅定門 |
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