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                  <義央墓>(よしひさ) 
                   吉良家17代、元禄15年(1702)12月15日、死去。 
                   義冬子。母は酒井忠吉の娘。高家職(肝煎)を継ぐ。「吉良が勤めを見習うべし」と称えられる。(徳川実記)元禄事件で非業の死を遂げる。 
                  <義冬墓> 
                   吉良家16代、寛文8年(1668)没。 
                   義弥子。母は今川範以の娘。高家職(肝煎)を継ぐ。高家吉良氏の名声をいよいよ高める。一千石を給い、四千石余を知行する。 
                  <義周墓>(よしちか) 
                   義央の養子(義央の外孫)。父は上杉綱憲(義央子)。諏訪に配琉。3年後(宝永3年・1706)病死(21歳)。名門吉良家断絶。 | 
                
                
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                  <義安墓> 
                   吉良家13代、永徳12年(1569)駿河国藪田村にて没。 
                   西条、東条城主。織田、今川、松平の勢力に翻弄される。薮田(藤枝市)で不遇な最期。右隣は夫人の墓。 
                  <義定墓> 
                   吉良家14代、寛永4年(1627)没。 
                   義安子。母は松平清康(家康の祖父)の娘。関が原合戦に出陣。徳川幕府旗本に登用される。父義安の菩提のため華蔵寺を再建する。  | 
                
                
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                  <義弥墓>(よしみつ) 
                   吉良家15代、寛永20年(1643)没。 
                   義定子。母は今川氏真の娘。関が原合戦に父とともに出陣。二代将軍秀忠に供奉。高家職(のちに肝煎ー高家上席)になる 
                  <東城織部義孝墓> 
                   義央の弟。 | 
                
                
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                  <あぐり姫> 
                   義央二女。津軽へ嫁して一年後(貞亨2年・1688)没。 |