写真紀行・旅おりおり トップページへ 写真紀行・旅おりおり : 旅先で撮影した景色、建築、史跡、祭、風物等の写真と動画
 <城と城跡を巡る写真紀行

 印象深い景色
坂道 灯台
横丁・小路
街角 通り
温泉
 史 跡
街道 史跡
遺跡 人物
奥の細道 墓地・終焉地
Play Back 城・城跡
 建築・構造物
歴史的建造物 先端建築
神社
教会
漁港 垣根
 自 然
池・沼・湿原 海岸
 産業・交通
伝統・地場産業 バスターミナル
自動車・バイク
国内線 道風景
航空機
 四季の景色
棚田 桜紀行
春景色 夏景色
秋景色 冬景色
 歌の舞台・祭・他
歌の舞台 祭・イベント
夜景 テ−マパ−ク
趣味悠々 食紀行
日曜画家  
 管理人
管理人備忘録 リンク集
飯田城跡 長姫城跡   長野県飯田市
長姫城遺構 赤門
長姫城遺構 赤門 長姫城遺構 赤門
 飯田城は、室町時代に坂西(はんざい)氏が築城したといわれ、その後、武田・織田・徳川氏らの支配下に置かれた。次いで、豊臣氏に封ぜられた毛利・京極氏は城と城下町の大改修を行い、飯田町も基礎を形づくった。関ヶ原の合戦後は飯田藩主小笠原・脇坂・堀氏の居城となり明治4年の廃城にいたる。
 城は、段丘の突端部を利用した平山城である。脇坂時代の絵図によれば、本丸・二の丸などの6つの郭からなり、空堀や水堀によって区画されていた。
赤門
 赤門は長姫城櫻丸の門で、宝暦4年4月(1754)に上棟された。本丸は町から遠く不便なので櫻丸で政務をとったといわれる。入母屋造りで瓦葺、鬼瓦には堀氏の家紋「向梅」が使われている。平面は二本の鏡柱「と控柱とで構成され潜戸を設けてある。
 明治になり飯田県・筑摩県飯田支庁・下伊那郡役所・地方事務所等の郡衙の正門として使われてきた。
飯田城二の丸 御用水跡
御用水跡> 飯田城二の丸
 この水路は、発掘調査で発見された御用水を再現したものである。風越山(1535m)山麓で松川から取った水は、城下町を潤し、城突端の山伏丸の池まで引かれていた。本来は、西方の二の丸御門から直線的に伸びていた。 
飯田城二の丸大通り跡
大通り跡> 飯田城二の丸
 二の丸を貫く大通りの両側には、白壁の土塀が続き、各所に飯田藩重臣の屋敷の門があった。
 発掘調査(昭和61年・62年)によれば、道路幅約5mで北側に水路(御用水)が作られていた。ここに再現した大通りと御用水は、本来の位置とは若干異なっている。 
飯田城跡
 美術博物館本館と飯田消費生活センターさらに道路北側の住宅地を含めた一帯は二の丸にあたる。古絵図によれば、中央を東西方向に大通りが伸び、両側には飯田藩重臣の屋敷があった。廃城後、明治17年(1884)から昭和57年(1982)まで公立学校(飯田中学校・飯田商業学校・飯田長姫高等学校など)の用地ともなっていた。
 美術博物館建設に先立つ発掘調査では、二の丸に関連した水路・井戸・貯水池・建物跡などの遺構や、中世の古飯田城に関連した空堀跡・住居址などが発見された。
北海道
五稜郭 四稜郭 松前城
東北
山形城 新庄城 久保田城 盛岡城 若松城 二本松城
弘前城
関東
江戸城 小田原城 牛込城 大多喜城 佐倉城new
甲信越
松本城 高遠城 荻町城 和田城 飯田城
東海
浜松 浜松城 野面積み(浜松) 犬居城 水巻城 井伊谷城
高根城 二俣城
掛川 掛川城 横須賀城 高天神城
新城 長篠城 亀山城
恵那 岩村城 岩村城・太鼓櫓 明知城
大垣 大垣城 墨俣城
駿府城 山中城 犬山城 名古屋城 上野城 市場城
岐阜城 田原城 東条城 韮山城 岡崎城 諏訪原城
清洲城 清洲古城 苗木城 吉田城 勝間田城
北陸
富山城 阿尾城 金沢城
近畿
京都 二条城 妙顕寺城 旧二条城
大阪 大坂城@ 大坂城A
姫路 姫路城@ 姫路城A 姫路城B 姫路城C
安土城 彦根城 和歌山城 大坂城 長浜城 赤穂城
竹田城
中国
松江城 福山城 津和野城 岩国城 萩城 広島城
四国
松山城 湯築城 安芸城 高知城 宇和島城 今治城
高松城 徳島城
九州
熊本城 島原城 唐津城 原城跡 平戸城 玖島城
鶴丸城 福岡城 小倉城 岡城
沖縄
今帰仁城 勝連城 中城城



Copyright(c) 2002-2024 写真紀行 uchiyama.info All Rights Reserved.