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徳島城 蜂須賀氏   徳島県徳島市
徳島城
徳島城 徳島城
 徳島城は、天正13年(1585)に阿波国(17万6千石)の領主となった蜂須賀家政(1558〜1638)によって建設された。築城にあたっては、天下人豊臣秀吉の命により伊予の小早川隆景や土佐の長宗我部元親、比叡山の僧侶が協力した。
 徳島城は標高約61mの城山と北を助任川、南を寺島川(現在のJR線路)に囲まれ、東には堀を設けた、自然の地形を巧く利用した城でした。
 徳島城の構造は、山上の本丸・東二の丸・西二の丸・西三の丸、南麓の御殿(一部は現徳島城博物館)、西麓には隠居した藩主等の住んだ西の丸からなる平山城でした。
 藩主が暮らしたのは、天守のある城山ではなく麓の御殿でした。御殿は藩主の居間や藩主が家臣たちを引見する広間(121.5畳)や大書院(110.5畳)のほか、重臣たちの詰めた部屋のあった「表」と藩主の側室・子どもとその身の回りの世話をした女中たちが住む「奥」に分かれていた。「奥」は藩主とその家族以外の男子は入ることが出来なかった。
 藩主の居城として徳島藩のシンボルであった徳島城は、明治になると役目を終え、明治8年(1875)に解体され、現在では石垣や表御殿の庭園を残すだけとなった。
 (元和元年(1615)、初代藩主至鎮は、大坂の陣の功績により淡路一国を加増され、蜂須賀氏は阿波・淡路25万7千石の大名となった)。国指定史跡
下乗橋>(小見付橋)
 城内の堀に架けられた木製の太鼓橋で、殿様の住む御殿への正面出入口にあたる。この橋を渡ると枡形が設けられ石垣や門によって厳重に守られていまた。下乗橋の名前は、橋の前で駕籠などの乗り物から降りて歩いて渡ったことから由来している。明治2年、花崗岩製になり、明治41年現在のように水平の橋に改造された。
徳島城・石垣 徳島城・石垣
 徳島城跡の一番の見どころは、阿波の青石で築かれた美しい石垣です。城入口の巨石を用いた枡形部などには「大」などの文字や図柄を刻んだ刻印石、タガネを使って石を割って切り出そうとした跡も残っている。
徳島城
 庭園を作ったのは戦国武将として名を馳せた上田宗箇とされている。彼は広島で上田宗箇流を起こした茶人としても名高い人物で、豪壮で力強い荒々しさと緊張感のある静寂感を併せ持つのも魅力です。鶴島、亀島、蓬莱島、心字池など高低差を巧みに使った作風です。
徳島城・舌石 徳島城・舌石
徳島城の舌石
 眼下の水路(旧寺島川)沿いの石垣面から突き出ている石は、屏風折塀(びょうぶおれべい)の支柱石で「舌石」と呼ばれている。屏風折塀は、塀の一部を屏風のように折り曲げて堀川の方向に突き出させたもので、この折塀に鉄砲や矢を撃つための穴を設けることによって正面のみならず側面方向への攻撃が可能となり、城の防御性を高めていした。徳島城跡の旧寺島川沿いには約32m間隔で6個の舌石が残っており、全国的にも類例の少ない貴重なものである。
徳島城太鼓櫓跡・ラジオ塔
 ラジオ塔は、昭和8年(1933)NHKの徳島放送局が開局した記念に、旧徳島城の太鼓櫓跡に設置された。戦前、ラジオを普及させるため全国の公園に置かれ、多くの市民がラジオ塔で聴いた。現在のものは昭和58年(1983)に修理復元さた。
徳島城・城山の貝塚 徳島城・城山の貝塚
城山の貝塚
 貝塚は、古代人が食料とした貝や魚類・鳥獣類などの残滓や、生活に使用した土器や石器などいろいろな物を処分した「ごみ捨て場」であり、また時には死者を埋葬する墓地でもあった。
 城山の貝塚は、約4,000〜2,300年前の縄文時代後期〜晩期を中心とする岩陰・洞窟遺跡であり、現在この3号貝塚のほかに1号貝塚・2号貝塚が存在する。
 大正11年(1922)年に鳥居龍蔵博士らによって発掘調査が行われ、なかでも2号貝塚では、ハマグリ・カキ・ハイガイなどを主体とした厚さ60〜100cmにもおよぶ貝塚が確認され、縄文時代後期の土器片や、ほぼ完全な屈葬人骨1体を含む3体分の人骨が出土した。なお3号貝塚からは弥生土器も出土している。
 城山の貝塚は、当時の人々の生活や自然環境を知るうえで重要な遺跡として、また本県における考古学調査の先駆けとなった遺跡としても評価されている。徳島市指定文化財(史跡)
徳島城・城山の海蝕痕 徳島城・城山の海蝕痕
城山の海蝕痕
 前面の岩肌に残る大小の円形のくぼみは、海の波に浸食された跡である。気候温暖化に伴う海面の上昇や陸地の沈降により、海水が内陸まで入り込んだいわゆる「海進」によるもので、大規模な海進があった6,000〜5,000年前頃(縄文時代早〜前期)には、このあたりが海であったことがわかる。
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