京都のれん紀行  京都・町家小路の「のれん」を巡る写真紀行

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御幸町通 新しい京   京都市中京区・下京区
御幸町通(暖簾)
御幸町通(暖簾) 御幸町通(暖簾)
御幸町通(暖簾) 御幸町通(暖簾)
御幸町通(暖簾) 御幸町通(暖簾)
御幸町通(暖簾) 御幸町通(暖簾)
 豊臣秀吉の京都大改造によって出来た道・通りです。
御幸町通(暖簾)・近又
近又の由来
 創業享和元年(1801)、初代は近江国の出身で近江屋又八を名乗る。元は麩屋町通六角下る、現在の生祥小学校の地に於て、Θ「近江屋」を開業。当時は近江の国からの薬の行商人たちの定宿であった。資料としては、享和2年壬戌三月付、寄宿仲ヶ間発行の「定」や、家紋入りの提灯などが残っており、それ以前から営業していたと思われる。
 明治31年(1898)7月25日、近江屋又八の名称から「近又」と屋号を改め、明治35年(1902)、現在の地に移った。
 懐石料理を中心に、木造2階建、紅殻作りの玄関、竹の穂垣(時雨の二段垣)の施された庭、傘天井による総檜造りの風呂など、京の典型的な町家造りの建物として営業している。
御幸町通(暖簾) 御幸町通(暖簾)
御幸町通(暖簾) 御幸町通(暖簾)
御幸町通(暖簾)・近又
 御幸町通の名の由来は秀吉が禁裏御所に参内するときに利用したことからとも、天子が御幸になることからともいわれている。



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