写真紀行・旅おりおり トップページへ 写真紀行・旅おりおり : 旅先で撮影した景色、建築、史跡、祭、風物等の写真と動画
 <寺を巡る写真紀行

 印象深い景色
坂道 灯台
横丁・小路
街角 通り
温泉
 史 跡
街道 史跡
遺跡 人物
奥の細道 墓地・終焉地
Play Back 城・城跡
 建築・構造物
歴史的建造物 先端建築
神社
教会
漁港 垣根
 自 然
池・沼・湿原 海岸
 産業・交通
伝統・地場産業 バスターミナル
自動車・バイク
国内線 道風景
航空機
 四季の景色
棚田 桜紀行
春景色 夏景色
秋景色 冬景色
 歌の舞台・祭・他
歌の舞台 祭・イベント
夜景 テ−マパ−ク
趣味悠々 食紀行
日曜画家  
 管理人
管理人備忘録 リンク集
三十三間堂 通し矢   京都市東山区
三十三間堂・「通し矢」射場
三十三間堂・「通し矢」射場 三十三間堂・「通し矢」射場
 正式名称は蓮華王院という。その本堂が三十三間堂である。本堂の柱間数が三十三もある長大な建物になっている。中央須弥壇上の中尊千手観音座像(国宝)の左右に500体ずづ安置された千手観音像群(重文)はよく知られ、有名な観音二十八部衆像(国宝)や風神・雷神像(国宝)もこの中に安置されている。この寺で行われているのが「通し矢」である。
「通し矢」射場
 江戸期、尾張・紀州両藩による通し矢「天下一」争奪戦は民衆の評判となった。縁側の柱や軒に残る鉄板は、雨あられと飛んでくる矢からお堂を守るために徳川三代将軍家光が付加したしたものです。
 西縁の南端から北端へ、一昼夜24時間、矢を射つづけるという「大矢数」(おおやかず)は身命を賭けた凄絶な競技で、江戸時代を通じて、約八百人がこれに挑み、時々のおもいをのせて放たれた矢数も延べ百万本に達すると伝えられる。毎年正月(15日に近い日曜日・無料公開)には、この古儀に因む弓道大会が行われ、全国から約二千人が参加し終日、賑わう。
三十三間堂 三十三間堂
三十三間堂 三十三間堂
三十三間堂建築のひみつ
 三十三間堂は、1164年、後白河上皇が千一体の観音像を安置する仏堂を発願し、平清盛により建立された。1249年、大火により焼失。1266年、後嵯峨上皇により再建され、現在に至っている。
 三十三間堂は長大な建築であるにもかかわらず、爾来、四度の大修理があったものの800年近く現在の美しく荘重な形を保っている。これは建築史上でも特筆すべき事である。三十三間堂(蓮華王院)が建立された院政期は、その時代の特徴の一つとして院庁である御所の造営をはじめ、寺社の大規模な土木工事を行ったことである。
 京都には、当時、白河院発願の法勝寺の蓮華蔵院(九体阿弥陀堂)や80m級の八角九重塔、鳥羽上皇の勝光明院や得長寿院(千体観音堂)など衆人が瞠目する大建築が甍(いらか)をならべ聳えていたという。
 しかし、これらの堂塔はわりあい短命で、地震、火災等でそのほとんどが姿を消してしまった。そのような反省から、時の工匠たちは、天災を恐れて強固な建築工法を工夫した。先の蓮華蔵院や得長寿院を手本とした三十三間堂には工法上、基礎となる地盤は砂と粘土を何重にも層状に重ねて地下震動を吸収する「版築」が用いられ、構造材である柱や長押しは、揺れが生じることを予測した構架になり、板壁も板木を横にもちいた羽目板として土壁面積を極力少なくするなど種々な工夫が施されている。
三十三間堂・法然塔(名号石) 三十三間堂・後白河上皇院政庁「法住寺殿」址碑
法然塔(名号石)(上左画像)
 元久元年(1204)3月、時の土御門天皇が当院で後白河法皇の13回忌を行った際、請いをうけた法然上人が音曲に秀でた僧を伴って「六時礼讃」という法要を修した。この碑は、その遺蹟として「法然上人霊場」にも数えられ、いまも参拝する方々がある。上人は”浄土の経文”を書写し、参集した人々にも紙を分け与えて念仏・写経を勧めたといわれている。刻まれた「六字の名号」は温雅で素朴ながらも力強く、数多の法難を乗り越えて念仏に専修した上人の人柄が偲ばれる。
後白河上皇院政庁「法住寺殿」址碑(上右画像)
 法住寺殿は、保元3年(1158)8月、その皇子・二条天皇に譲位して上皇となった後白河院が約30年にわたり院政(上皇が天皇に代わって政権運営をする特異な政治形態)を行った政庁です。上皇になると天皇の住まう御所とは別の所に専用の”院御所”を造営するするのが通例で、先例の白河・鳥羽の両帝に続き、その度に大規模な土木工事が行われた。後白河院は譲位直後に御所の造営に着手、東山の麓から西は鴨川河岸まで、南北は八条坊門小路(現・東海道線南・大谷高校辺)から六条大路(現・六条通り)に及ぶ広大な地域で、その地名を取り「法住寺殿」と名付けた。構内は政治的な施設の「北殿」と”常の御所”と呼ぶ住居に三十三間堂をはじめとする宗教的堂塔が集中した「南殿」に分かれ、東山を背にする丘陵に地中から湧き出たような大建築が甍を並べたという。
 永暦2年(1161)4月、月明かりの夜に、上皇はここに移り以後20年住まいとする。しかし、賑わいをみせた院の御所も、寿永2年(1183)11月、対立するようになった木曽義仲の夜襲にあい焼失した。800年の昔に変わらぬ姿でこの場所に伝承されてきた三十三間堂は、その時代をしのぶ稀有の物証といえる
三十三間堂・夜泣せん 三十三間堂・太閤塀
夜泣せん>(せん=酉+泉)(上左画像)
 お堂創建の翌年(1165)6月の7日、ひとりの堂僧が夢のお告げにより発見したという霊泉で「古今著聞集」には「いつも冷たく美味しくて飲んでもお腹を痛めることのない”極楽井”でどんなに汲んでも尽きず、汲まない時も余ることのない不思議な泉だ。」と記されている。
 夜のしじまに水の湧き出す音が人の”すすり泣き”に似ることから”夜泣き”せんと言われるようになり、いつの頃からか傍らに地蔵尊が奉られて、特に幼児の「夜泣き封じ」に功徳があるとして地蔵さまの「前掛け」を持ち帰り子供の枕に敷けば”夜泣き”が治るとされ、今もそのご利益を求める参拝が続いている。
南大門と太閤塀>(重要文化財・桃山時代)(上右画像)
 南大門は三間一戸の八脚門で、豊臣秀吉が文禄4年(1595)に造立した大仏殿方広寺(現・国立博物館一帯)の南門として築いたものと伝える。それに続く築地塀は高さ5.3m、長さ92mの堂々たる建造物で、瓦に太閤桐の文様を用いることから「太閤塀」と通称され、ともに桃山気風にあふれた遺構です。 
北海道
函館 称名寺 高龍寺
法源寺(松前)
東北
山形 光禅寺 専称寺 国分寺薬師堂
恐山(下北半島) 賽の河原 三途の川 恐山菩提寺の堂宇 極楽浜 奥の院
地獄 水子供養本尊 風車 恐山・点描 白いタオルnew
円蔵寺(柳津) 義経寺(外ヶ浜)
関東
木更津 證誠寺 選擇寺
東京   新宿区 善国寺
中央区 地蔵寺
葛飾区 柴又帝釈天
品川区 海雲寺 天妙国寺 品川寺
荒川区 経王寺 浄光寺 養福寺 浄閑寺
目黒区 目黒不動
豊島区 高岩寺
港区 赤坂不動尊 賢崇寺 泉岳寺 赤坂豊川稲荷
中野区 新井薬師
台東区 浅草寺 浅草寺(夜) 伝法院 源空寺 入谷鬼子母神
観音寺 かっぱ寺 大円寺 清水観音堂 築地本願寺
弁天堂
文京区 伝通院 護国寺 吉祥寺 源覚寺 講安寺
麟祥院 慈眼院 善光寺 昌清寺 霊雲寺
墨田区 回向院
足立区 源長寺
江東区 深川不動堂
中野区 功運寺 新井薬師
調布 深大寺
鎌倉 建長寺 円覚寺 鎌倉大仏 東慶寺 長谷寺
浄妙寺 杉本寺 報国寺 海蔵寺 覚園寺
常栄寺 瑞泉寺 宝戒寺 本覚寺 妙本寺
妙骼 極楽寺 成就院 星の井寺 満福寺
浄智寺 鎌倉半僧坊 薬王寺
藤沢 龍口寺 遊行寺 常光寺 荘厳寺 妙善寺
永勝寺
總持寺(横浜) 成田山新勝寺
甲信越
長野 善光寺 天宗寺
山ノ内 温泉寺 梅翁寺
広拯院(阿智) 光前寺(駒ヶ根) 元善光寺(飯田) 久遠寺(身延)
東海
名古屋 大須観音 高徳院 子守地蔵尊
豊田 廣圓寺 松月寺 西運寺 嶺雲寺
静岡 臨済寺 清見寺
浜松 安寧寺 鴨江寺 瑞雲院 妙恩寺 地蔵院
普済寺 清瀧寺 長栄寺 龍雲寺 東光院
湖北五山(浜松) 龍潭寺@ 龍潭寺A 摩訶耶寺 宝林寺 大福寺
方広寺
磐田 福王寺 大見寺 玄妙寺 慈恩寺 見性寺
袋井 油山寺 可睡斎
湖西 本興寺 蔵法寺 妙立寺 潮見寺
森町 大洞院 全生寺 金剛院
稲沢 善光寺東海別院 祐専寺
西尾 円融寺 華蔵寺 源徳寺 長圓寺
岡崎 大樹寺 大泉寺 妙源寺 隋念寺
新城 大通寺 医王寺
豊川 浄泉寺 正法寺 長福寺 豊川稲荷
多治見 続芳院 永保寺
修禅寺(伊豆) 長誓寺(一宮) 了仙寺(下田) 大御堂寺(美浜) 龍護寺(恵那) 佑泉寺(美濃加茂)
日限地蔵尊(島田)
北陸
高岡大仏(高岡)
近畿
京都 左京区 南禅寺@ 南禅寺A 銀閣寺 寂光院 金地院
鞍馬寺 曼殊院 常林寺 詩仙堂 勝林院
宝泉院 実光院 三千院 金戒光明寺 光雲寺
天授庵 南禅院 永観堂 圓通寺 峰定寺
金福寺 蓮華寺 妙満寺@ 妙満寺A
右京区 化野念仏寺 祇王寺 神護寺 妙心寺 仁和寺
二尊院 龍安寺 西明寺 清涼寺 滝口寺
天龍寺 慈眼堂 常寂光寺 常照皇寺 大覚寺
宝筐院 衡梅院 妙光寺
中京区 本能寺 六角堂 矢田寺 こぬか薬師 行願寺(革堂)
空也堂 正運寺 壬生寺 大福寺 瑞泉寺
善導寺 法雲寺
上京区 相国寺 廬山寺 法輪寺(達磨寺) 妙覚寺 竹林寺
導故寺 大法恩寺 本骼 茶くれん寺 宝鏡寺
妙顕寺 妙蓮寺 大應寺 本法寺 西林寺
雨宝院 石像寺 称念寺 浄福寺 智恵光院
下京区 東本願寺 西本願寺 平等寺 明王院不動寺 光圓寺
仏光寺 北来地蔵菩薩 粟嶋堂 本山興正寺 長円寺
聖光寺
西京区 西芳寺(苔寺) 地蔵院 淨住寺 善峯寺
東山区 方広寺 建仁寺 清水寺 高台寺 八坂庚申堂
六波羅蜜寺 三十三間堂 退耕庵 知恩院 東福寺
泉涌寺 今熊野観音寺 八坂の塔 大雲院 安養寺
東大谷 仲源寺 なすあり地蔵菩薩 六道珍皇寺 烏寺
摩利支尊天堂 興正寺本廟 雪舟寺
北区 大仙院 大徳寺 源光庵 金閣寺 正伝寺
等持院 神光院 常照寺 光悦寺 西方寺
芳春院 閑臥庵 上善寺
南区 東寺
山科区 勧修寺 岩屋寺 極楽寺 瑞光院 毘沙門堂
伏見区 西岸寺
宇治 平等院 恵心院 興聖寺
奈良 唐招提寺 興福寺 東大寺 薬師寺 般若寺
元興寺 十輪院 淨教寺 法徳寺 法華寺
飛鳥 岡寺 橘寺 法然寺 飛鳥寺
法隆寺(斑鳩) 南大門 東大門 西大門 中門 伏蔵
金堂 五重塔 大講堂 鐘楼 廻廊
三経院・西室 西円堂 西円堂の鐘 聖霊院 東室
妻室 綱封蔵 食堂 絵殿・舎利殿 伝法堂
四脚門 東院鐘楼 夢殿 築地塀
近江八幡 瑞龍寺 長命寺
彦根 宗安寺 石山寺
大津 義仲寺 三井寺
京田辺 一休寺 観音寺
木津川 蟹満寺 神童寺 岩船寺 浄瑠璃寺
大山崎 観音寺 宝積寺
赤穂 花岳寺 萬福寺
室生寺(宇陀) 長谷寺(桜井) 善福寺(神戸) 西明寺(甲良) 正法寺(日野) 法善寺(大阪)
地蔵禅院(井出) 延命地蔵尊(米原) 金峯山寺(吉野) 深専寺(湯浅) 神蔵寺(亀岡) 百済寺(東近江)
宝厳寺(竹生島)
中国
尾道 西国寺 天寧寺塔婆 浄土寺 信行寺
山口 龍福寺 瑠璃光寺
永明寺(津和野) 東光寺(下関) 大寧寺(長門) 東光寺(萩) 向月寺(高梁)
四国
四国八十八霊場 38 金剛福寺 51 石手寺 75 善通寺
円福寺(三好) 高昌寺(内子) 蓮福寺(松山)
九州
興福寺(長崎) 承天寺(福岡)
共通
門前の格言


Copyright(c) 2002-2024 写真紀行 uchiyama.info All Rights Reserved.