  | 
                
                
                   | 
                
                
                    | 
                   | 
                    | 
                
                
                   | 
                
                
                    | 
                   | 
                    | 
                
                
                   | 
                
                
                   鎌倉時代、七堂伽藍を持つ規模の大きい寺があったと伝えられるが、鎌倉幕府滅亡時に焼失し、その後、応永元年(1394)に鎌倉公方足利氏満の命で、上杉氏定が心昭空外を招いて再建され、扇ガ谷上杉氏の保護を受けて栄えた。 
                   この寺には多くの言い伝えがある。空外は「那須の殺生石」の話が有名です。仏殿の薬師如来座像は「啼薬師」、「児護薬師」といわれ、胎内に仏面を収めており、啼薬師伝説がある。 
                   門前には、「千代能が、いただく桶の 底脱けて 水たまらねば 月もやどらじ」と歌われたと伝えられる「底脱けの井」や、鎌倉時代の遺跡である「十六の井」もあり、水の寺といわれている。 | 
                
                
                  
                  
                    
                      
                        |  宗派 | 
                        臨済宗建長寺派 | 
                         山号 | 
                        扇谷山海蔵寺 | 
                       
                      
                        |  建立 | 
                        応永元年(1394) | 
                         開山 | 
                        心昭空外(源翁禅師) | 
                       
                    
                   
                   | 
                
                
                   | 
                
                
                    | 
                   | 
                    | 
                
                
                   | 
                
                
                    | 
                   | 
                    | 
                
                
                   | 
                
                
                  <底脱けの井>  
                   この井戸は、鎌倉十井の一つです。中世の武将の安達泰盛の娘・千代能が、ここに水を汲みに来た時、水桶の底がすっぽり抜けたため、「千代能が いただく桶の 底ぬけて 水たまらねば 月もやどらじ」とうたったことから、この名がついたといわれている。 
                   井戸の底ではなく、心の底が抜けて、わだかまりが解け、悟りが開けたという投機(解脱)の歌です。  |