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東福寺は仁和2年(886)に、薬師如来像と仁王像が漁師の網にかかり、翌年賢嶺法印が薬師堂を建てたと伝えられている。その後、承安元年(1171)に三間半四面の堂宇が建立され建保5年(1217)仏師運慶法印が薬師如来、脇侍仏、十二神将を制作奉納し諸堂を建立して東福寺開山となった。天平2年(730)の「紙本墨書大般若経巻五百二十八(市指定文化財)」は、この種のものでは県内最古ともいえる貴重な文化財です。
歴代真言宗であったがあ永正17年(1520)東福寺中興開山、松医活涛禅師が臨済宗に改宗した。明治37年(1904)に南禅寺派より分かれて現在の方広寺派となった。
東福寺の建物は何度か改築、修復されており本堂と庫裏も平成に入り再建されたものです。 |
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<木造金剛力士立像>
東福寺山門に立つ金剛力士像は、江戸時代の安永8年(1779) 開眼で、松材、寄木造り、玉眼水晶製嵌入の筋骨隆たる像である。通称「仁王」とも言われ、寺を守護する役目を果たしている。山門右側の阿形は口を開け、左手に独鈷杵を持ち、左側の吽形は口を閉じて立っている。 |
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<東福寺のマキ>
境内のマキの内2本が市指定天然記念物。このうち一本は雄株で、根廻り4.8m、目通り3.2m、枝張り17m、樹高15m。もう一本は仁王門東の雌株で、根廻り3.6m、目通り4.3m、枝張り17m、樹高13m。湖西市指定天然記念物。
<橋本大般若経お経守>
この行事は、お経守、日頃、若磯、杣川、高師山の代表者、各戸にお札を配って歩く、江戸時代から続く民俗行事である。大般若祈祷会が始まると、お経守の自宅から持ち寄った金襴の女帯とお札、経本一冊をお盆に入れ、羽織袴姿で各戸を回る。このとき、どの家に入るときも言葉を交わさず無言のまま座敷に上がり、床の間にお札を置いてくる習わしになっている。湖西市指定無形民俗文化財。 |
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