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橋弁慶山 |
祇園祭 京都市
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謡曲「橋弁慶」より取材、弁慶と牛若丸が五条大橋で戦う姿をあらわしている。弁慶は鎧姿に大長刀を斜にかまえ、牛若丸は橋の欄干の擬宝珠(ぎぼし)の上に足駄(あしだ)で立ち片足を曲げ右手に太刀を持っている。橋は黒漆塗で特に牛若丸の人形は足駄金具一本でこれを支えている。
弁慶は永禄6年(1563)平安大仏師康運(こううん)の銘、牛若丸は天文6年(1537)同じく仏師康運の銘を持ち、足駄金具は美濃国住人右近信国の銘がある。前掛と後掛は中国・明時代の雲龍波涛(うんりゅうはとう)文綴錦、胴掛の綴錦賀茂葵祭図(つづれにしきかもあおいまつりず)は円山応挙(1733〜95)の下絵である。
水引は百児喜遊図(ひゃっこきゆうず)の綴錦、後掛は龍文綴錦のものが用いられている。また、重要文化財指定の鎧「黒韋威肩白胴丸大袖付(くろかわおどしかたじろどうまるおおそでづき)」を蔵している。この山の人形組みの巧みさは浄妙山と共に山鉾のなかでも特別なものとして注目に値する。
橋弁慶山(はしべんけいやま)所在地:蛸薬師通室町東入ル橋弁慶町 |
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