写真紀行・旅おりおり トップページへ 写真紀行・旅おりおり : 旅先で撮影した景色、建築、史跡、祭、風物等の写真と動画
 <池、沼を巡る写真紀行

 印象深い景色
坂道 灯台
横丁・小路
街角 通り
温泉
 史 跡
街道 史跡
遺跡 人物
奥の細道 墓地・終焉地
Play Back 城・城跡
 建築・構造物
歴史的建造物 先端建築
神社
教会
漁港 垣根
 自 然
池・沼 海岸
 産業・交通
伝統・地場産業 バスターミナル
自動車・バイク
国内線 道風景
航空機
 四季の景色
棚田 桜紀行
春景色 夏景色
秋景色 冬景色
 歌の舞台・祭・他
歌の舞台 祭・イベント
夜景 テ−マパ−ク
趣味悠々 食紀行
日曜画家  
 管理人
管理人備忘録 リンク集
入鹿池 灌漑用貯水池   愛知県犬山市
入鹿池
入鹿池 入鹿池
入鹿池 入鹿池
 入鹿池は、江戸時代の寛永10年(1633)に造られたダムによって水を蓄えることのできた灌漑用貯水池である。
 尾張富士の東、四方を山に囲まれた谷間に戸数160の入鹿村があった。入鹿という地名が初めて記録にあらわれるのは「日本書紀」で、安閑天皇紀2年(535)で、「尾張国に入鹿屯倉を置く」と記録されている。即ち入鹿池は、その入鹿屯倉の跡と推定されている。
 この盆地には多くの小川が流れ込んで一本になり、それが南側の銚子口から流出していたので、ここを締め切れば盆地内に、一大貯水池ができるところからその水を使って小牧台地一帯を新田にしようとしたもので、長大な堰堤は近世の土木事業史からも貴重な遺構とされている。
入鹿池
 この大土木事業をを起こしたのは入鹿六人衆と呼ばれた江崎善左衛門、落合新八、鈴木久兵衛、丹羽又助、鈴木作右衛門、舟橋七兵衛の六名で、尾張藩の新田開発政策とも合致するものであった。
 水没する160戸の農民の補償は、家の間口一間につき金一両ずつ引っ越し手当金を支給した。引っ越し先は農民の自由だが、入鹿池の水を利用して新田を開発するならば好きな土地を好きなだけ取ってもよいというものであった。
 犬山市街と明治村の途中前原には、その時移転した立派な神社と寺が残っている。また小牧には入鹿出新田の地名等もあり、往時をしのばせる。入鹿池は古代から近世、近代の歴史を湖底に深く沈めている池である。
 池の周囲:約16q  池の面積:約170ヘクタール  
 最深部:約20m  灌漑面積:約86ヘクタール
北海道
青い池 神仙沼
東北
五色沼 深泥沼 るり沼 青沼 赤沼 毘沙門沼
弁天沼 柳沼
十二湖 鶏頭場の池 青池
中瀬沼 レンゲ沼 大潟溜池
関東
三四郎池 不忍池 心字池
甲信越
菖蒲池・鏡池 大正池 鏡池(戸隠)@ 鏡池(戸隠)Anew
東海
桜ヶ池 入鹿池 桶ヶ谷沼 新宮池
近畿
京都 宝ヶ池 小倉池 広沢池
奈良 鷺池 猿沢池
山田池



Copyright(c) 2002-2023 写真紀行 uchiyama.info All Rights Reserved.