 |
|
創祀の詳細は不明。境内東北にある「礫石(つぶていし)」と呼ばれる自然石を、古代において磐座として祭祀したものと考えられている。鎌倉時代初頭には「土佐国総鎮守一宮」とされ、神仏習合の中、「土佐高賀茂大明神」と称された。
平安期には「式内大社」に列格され、その後皇室や武士からの崇敬あつく、時の権力者たちから寄進された建物などが目をく。室町時代には、武門の崇敬あつかった。 |
|
 |
|
 |
|
 |
|
当神社の社殿は、永禄6年(1563)に戦火によって焼失したが、長宗我部元親が四国平定を祈願し、元亀元年(1570)に再興造営された。
社殿の特徴は入りトンボ様式といわれ、トンボが羽根を広げ、尾を突き出したような拝殿に幣殿が頭部のようにつながり、本殿に入るという独特の形式を持ち、参道入口の楼門(昔の仁王門)、社殿前の鼓楼(昔の鐘楼)を合わせて、重要文化財に指定されている。 |
|
 |
|
 |
|
<土佐神社 鼓楼>
慶安2年(1649)、二代藩主 山内忠義 建立。昭和61年(1986)11月、修復竣工。 国の重要文化財 |
|
 |
|
 |
|
 |
|
|
|
「トンボ形(十字形)」の珍しい造りの社殿。祭神:味鋤高彦根神(あじすきたかひこねのかみ)、一言主神(ひとことぬしのかみ) |