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日野熊蔵 日本初のパイロット   熊本県人吉市
当時の飛行機(模型)
当時の飛行機(模型)
 日野熊蔵は、明治11年(1878)に旧相良藩士、日野広一の長男として熊本県人吉町に誕生した。14歳で熊本英学校に入学し、20歳で陸軍士官学校を卒業した。陸軍では銃に関する御前講演や日野式拳銃の発明を行うなど、技術部門のエキスパートとして活躍した。
 飛行操縦技術を学ぶため、東京早稲田出身の徳川好敏と共にヨーロッパに派遣され、飛行に関する多くの知識を習得した。そして、帰国後の明治43年(1910)12月14日、ヨーロッパから持ち帰った飛行機(日野熊蔵はドイツ製のグラーテ式飛行機に、徳川好敏はフランス製のファルマン式飛行機)に乗り、東京代々木の練兵場(練兵場跡地は、現在の代々木公園)にて日本人初の有人動力飛行に成功したのだった。
 その後も晩年まで飛行機や兵器の研究と開発を続け、自らも日野式1号機から3号機まで制作したが、全て滑走のみに終わってしまった。昭和12年(1937)無尾翼機をデザイン、昭和17年(1942)には操縦装置の発明で特許を所得している。
 昭和21年(1946)67歳で逝去した。日本の航空界のみもならず、我が国の近代化の発展にも大きな功績を残した。(模型は鹿児島空港にて)
   グラーテ式単葉機(日野熊藏)  ファルマン式複葉機(徳川好敏)
 全幅  10.5m  10.5m
 全長   7.5m  12.0m
 全高   2.0m   4.0m
 重量  225s  500s
 発動機  グラーテ式空冷4気筒エンジン  グノーム式空冷7気筒エンジン
 出力  24馬力  50馬力
 操縦者  1名  2名
人物
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