写真紀行・旅おりおり トップページへ 写真紀行・旅おりおり : 旅先で撮影した景色、建築、史跡、祭、風物等の写真と動画
 <人物の足跡を巡る写真紀行


 印象深い景色
坂道 灯台
横丁・小路
街角 通り
温泉
 史 跡
街道 史跡
城・城跡 人物
奥の細道 墓地・終焉地
Play Back
 建築・構造物
伝統的建築 先端建築
神社
教会
漁港 垣根
 自 然
池・沼 海岸
 産業・交通
伝統・地場産業 バスターミナル
自動車・バイク
国内線 道風景
 四季の景色
棚田 春景色
夏景色 秋景色
冬景色  
 歌の舞台・祭・他
歌の舞台 祭・イベント
夜景 テ−マパ−ク
趣味悠々
 管理人
管理人備忘録 リンク集
 
釜鳴屋平七 義人平七   静岡県熱海市
釜鳴屋平七
釜鳴屋平七 釜鳴屋平七
釜鳴屋平七
 安政の頃、熱海の浜に漁民一揆が起こった。まぐろ編みの権利をめぐり漁民と網元との争いが日を追って激しくなり、こうした事態の中で網元の一人平右衛門の長男釜鳴屋平七は、他の網元たちのひどいやり方に反対し漁民側に同情、網元側から脱退、漁民に味方して解決をはかったが、争いは収まらなかった。
 このため、平七らは漁民250余人とともにムシロ旗を立て韮山代官所に押しかけ、平七は役人の制止を振り切って代官江川太郎左衛門に訴状を差し出した。
 代表者平七ら7人は捕らえられ、首謀者と見られた平七は島流しの刑を受け、文久3年10月(1863)江戸から八丈島送りとなった。しかし、船中での虐待で衰弱した平七は大島に降ろされ、11月4日35歳で亡くなった。
 漁民たちは平七の遺志をつぎ、長い間苦難の戦いを続け、ようやく勝訴を勝ち取ることができた。
 星露百有余年、今もなお大衆の心に生きる義人平七の魂はここに眠っている。
釜鳴屋平七夫妻像
 釜鳴屋平七夫婦像は、文化勲章受章者の澤田政廣作。
安政のころ、釜鳴屋平七はこの浜に起った漁民一気の先頭にたった罪に問われ八丈島へ遠島の途中大島で死んだ 人間平七の無心愛人の足跡が熱海の歴史を語っている。  八十五歳  武者小路実篤
人物
伊藤左千夫 緒方洪庵 上野彦馬 井上良馨 板垣退助
大山巌 大久保利通 伊藤博文 青木周弼 ヴォーリズ
芥川龍之介 愛新覚羅溥傑・浩 お龍 大石瀬左衛門 井伊共保
足利義輝 岩崎弥太郎
亀井勝一郎 クラーク博士 国木田独歩 金田一京助・春彦 幸田露伴
賀茂真淵 金原明善 楠部弥弌 小泉八雲 木戸孝允
黒田清輝 金子みすゞ 久坂玄瑞 桂 太郎 勝 海舟
片岡源五右衛門 釜鳴屋平七
銭形平次 サトーハチロー 西郷従道 白井鐵造 清水次郎長
西園寺公望 志賀直哉 渋沢栄一 西郷隆盛 東海林太郎
島木赤彦 坂本龍馬 ジョン万次郎 佐藤春夫 下田歌子
佐藤一斎 下山順一郎
徳富蘆花 徳田秋声 滝沢馬琴 谷崎潤一郎 武野紹鴎
高蛹虫沽Y 豊田佐吉 竹久夢二 高山彦九郎 徳川吉宗
高杉晋作 高杉晋作 療養の地 東郷平八郎 天璋院・篤姫 寅さん
玉木文之進 坪井九右衛門 田中義一 富岡鐵齋
新渡戸稲造 野口英世 新島襄 永井荷風 西田幾多郎
西周new 永井隆 中島伊勢 中島 登
函館四天王 堀部安兵衛 二葉亭四迷 弘田龍太郎 林芙美子
文之和尚 本間精一郎
御木本幸吉 円山応挙 真下飛泉 森鴎外@ 森鴎外A
村田新八 正岡子規 森 寛斎 三善清行 宮沢賢治
モラエス 三好 学
吉田松陰 吉田稔麿 山縣有朋 山鹿素行 山内千代
蓮如上人
渡邊蒿蔵
 
石川啄木 新婚の家 蓋平館別荘跡 函館居住地跡 赤心館跡
喜之床旧跡
坪内逍遙 誕生地 旧居跡
徳川家康 徳川家康(浜松) 徳川家康(静岡)
夏目漱石 誕生地 住宅 旧居跡
樋口一葉 樋口一葉 伊勢屋質店


Google
WWW を検索 写真紀行・旅おりおり を検索

「写真紀行・旅おりおり」の画像を利用したい場合は、「」より連絡してください。

Copyright(c) 2002-2019 写真紀行 uchiyama.info All Rights Reserved.