写真紀行・旅おりおり トップページへ 写真紀行・旅おりおり : 旅先で撮影した景色、建築、史跡、祭、風物等の写真と動画
 <人物の足跡を巡る写真紀行

 印象深い景色
坂道 灯台
横丁・小路
街角 通り
温泉
 史 跡
街道 史跡
遺跡 人物
奥の細道 墓地・終焉地
Play Back 城・城跡
 建築・構造物
歴史的建造物 先端建築
神社
教会
漁港 垣根
防災施設
 自 然
山・峠
池・沼・湿原 海岸
 産業・交通
伝統・地場産業 バスターミナル
自動車・バイク
国内線 道風景
航空機
 四季の景色
棚田 桜紀行
春景色 夏景色
秋景色 冬景色
四季の彩り
 歌の舞台・祭・他
歌の舞台 祭・イベント
夜景 テ−マパ−ク
趣味悠々 食紀行
日曜画家  
 管理人
管理人備忘録 四国遍路
リンク集

高杉晋作 療養の地 維新を見ずに病没   山口県下関市
高杉晋作 療養の地
高杉晋作 療養の地 高杉晋作 療養の地
高杉晋作・療養の地
 慶応2年(1866)6月から始まった四境戦争(薩長戦争)で、奇兵隊など緒隊を率いた高杉晋作は、小倉口に迫った幕府軍を撃退した。しかし、この頃から肺結核を患っていた晋作は、戦場から離れることを余儀なくされる。
 さらに、病状が悪化した10月頃、桜山神社近くの当地に、東行庵(とうぎょうあん)または捫虱処(もんしつしょ)と名付けた小さな家を建て、おうのと野村望東尼(のむらもとに)の介抱を受けながら静養をすることになった。この碑に刻まれた漢詩(七言絶句)は、この療養生活中に詠まれたものです。
 その後、妻雅子も看病に駆けつけたが、慶応3年(1867)4月13日(命日は4月14日)に、晋作は新地の林算九郎宅で27年8ヶ月の生涯を閉じた。(本来の療養の地は、この場所より少し上にあったようです)
 落花斜日恨無窮 花は落ち 日は傾き 恨み窮り無し
 自愧残骸泣晩風 自ら愧ず 残骸晩風に泣くを
 休怪移家華表下 怪しむを休めよ 家を華表の下に移すを
 暮朝欲拂廟前紅 暮朝 廟前の紅を拂わんと欲す
漢文意味
 散りゆく花も、沈みゆく夕日も、恨みは窮まりない(思いは尽きない)。
 (しかしながら)病気で衰える体に嘆いていることを愧じている。
 桜山に移り住んだことを疑わないでほしい。
 朝夕に廟前の紅葉(落葉)を掃き清めたいだけである。
人物
伊藤左千夫 緒方洪庵 上野彦馬 井上良馨 板垣退助
大山巌 大久保利通 伊藤博文 青木周弼 ヴォーリズ
芥川龍之介 愛新覚羅溥傑・浩 お龍 大石瀬左衛門 井伊共保
足利義輝 岩崎弥太郎 大隈重信
亀井勝一郎 クラーク博士 国木田独歩 金田一京助・春彦 幸田露伴
賀茂真淵 金原明善 楠部弥弌 小泉八雲 木戸孝允
黒田清輝 金子みすゞ 久坂玄瑞 桂 太郎 勝 海舟
片岡源五右衛門 釜鳴屋平七 狩野元信 貝塚武男 北原白秋
銭形平次 サトーハチロー 西郷従道 白井鐵造 清水次郎長
西園寺公望 志賀直哉 渋沢栄一 西郷隆盛 東海林太郎
島木赤彦 坂本龍馬 ジョン万次郎 佐藤春夫 下田歌子
佐藤一斎 下山順一郎 鈴木三重吉
徳富蘆花 徳田秋声 滝沢馬琴 谷崎潤一郎 武野紹鴎
高蛹虫沽Y 豊田佐吉 竹久夢二 高山彦九郎 徳川吉宗
高杉晋作 高杉晋作 療養の地 東郷平八郎 天璋院・篤姫 寅さん
玉木文之進 坪井九右衛門 田中義一 富岡鐵齋 田沼意次
新渡戸稲造 野口英世 新島襄 永井荷風 西田幾多郎
西周 永井隆 中島伊勢 中島 登
函館四天王 堀部安兵衛 二葉亭四迷 弘田龍太郎 林芙美子
文之和尚 本間精一郎 日野熊蔵
御木本幸吉 円山応挙 真下飛泉 森鴎外@ 森鴎外A
村田新八 正岡子規 森 寛斎 三善清行 宮沢賢治
モラエス 三好 学
吉田松陰 吉田稔麿 山縣有朋 山鹿素行 山内千代
ヤン・ヨーステン
蓮如上人 頼山陽 両津勘吉
渡邊蒿蔵
 
石川啄木 新婚の家 蓋平館別荘跡 函館居住地跡 赤心館跡
喜之床旧跡
坪内逍遙 誕生地 旧居跡
徳川家康 徳川家康(浜松) 徳川家康(静岡)
夏目漱石 誕生地 住宅 旧居跡
樋口一葉 樋口一葉 伊勢屋質店
その他 上野栄三郎とハチ公new

Copyright(c) 2002-2024 写真紀行 uchiyama.info All Rights Reserved.