写真紀行・旅おりおり トップページへ 写真紀行・旅おりおり : 旅先で撮影した景色、建築、史跡、祭、風物等の写真と動画
 <遺跡を巡る写真紀行

 印象深い景色
坂道 灯台
横丁・小路
街角 通り
温泉
 史 跡
街道 史跡
遺跡 人物
奥の細道 墓地・終焉地
Play Back 城・城跡
 建築・構造物
歴史的建造物 先端建築
神社
教会
漁港 垣根
防災施設
 自 然
山・峠
池・沼・湿原 海岸
 産業・交通
伝統・地場産業 バスターミナル
自動車・バイク
国内線 道風景
航空機
 四季の景色
棚田 桜紀行
春景色 夏景色
秋景色 冬景色
四季の彩り
 歌の舞台・祭・他
歌の舞台 祭・イベント
夜景 テ−マパ−ク
趣味悠々 食紀行
日曜画家  
 管理人
管理人備忘録 四国遍路
リンク集

吉岡大塚古墳 和田岡古墳群   静岡県掛川市
吉岡大塚古墳
 吉岡大塚古墳は5世紀の中頃に築かれ、全長54.6m、後円部径41.3m、高さ7mの規模で、古墳群の中で3番目の大きさです。後円部の大きさに比べて前方部が短く、帆立貝に似た形状であることが特徴です。
 墳丘は、平成19年(2007)から平成26年(2014)にかけて行った発掘調査の成果を基に、整備・復元した。
 整備。復元は、県道から見える墳丘の南側においては、一部分に築造時の姿を復元し(葺石、埴輪を設置)、それ以外の部分では墳丘形状の復元に留めてている。
 墳丘の北側部分は、古墳保護のため盛土、植栽を行い、現状のまま保存した。これにより、古墳築造時から現在に至る時間の経過を墳丘の北側と南側で比較して見学することができる。
吉岡大塚古墳 吉岡大塚古墳
葺石> 
 発掘調査の結果、後円部と前方部の斜面には、葺石(ふきいし)が施されていたことがわかった。葺石の最下段には基底石となる20〜30pの大きな石が並べられていた。また、後円部東側の上段部では、やや大きな石からなる縦方向の区画石列が確認された。区画内の葺石は、10〜20p大の小さな石を使用していた。
 出土した葺石の石材鑑定を行ったところ、原野谷川(はらのやがわ)の河床礫で、ほとんどが砂岩であることがわかった。石は、丸みを帯びた形状のものを選別し、使用している。
 葺石の復元は、実際に採取した原野谷川の石を使用した。ただし、東側の墳丘下段にある1区画については、築造後に崩れて原位置を留めていない石を再利用して復元している。
埴輪
 設置した埴輪は、発掘調査で出土した円筒埴輪と朝顔型埴輪の破片から形状を復元した。
吉岡大塚古墳 吉岡大塚古墳
 復元完成前の景観(左画像)。円筒埴輪出土状況(北側くびれ部)(右画像)
吉岡大塚古墳
 古墳の憤頂部から周りの景観を撮る。
和田岡古墳群
 春林院古墳(国指定)  直径30m、高さ5m
 行人塚古墳(国指定)  全長43.7m、後円部直径25.4m、後円部高さ不明
 瓢塚古墳(国指定)  全長63.0m、後円部直径37.8m、後円部高さ5.0m
 各和金塚古墳(国指定)  全長66.4m、後円部直径51.2m、後円部高さ6.5m
 東登口古墳群(市指定)  10m前後の方墳2基、円墳3基で構成
縄文遺跡
北海道
北黄金貝塚 入江貝塚 キウス周堤墓群
東北
青森 大森勝山遺跡 田小屋野貝塚 亀ヶ岡石器時代遺跡 小牧野遺跡
二つ森貝塚
青森(三内丸山) 三内丸山遺跡@ 三内丸山遺跡A
秋田 伊勢堂岱遺跡 大湯環状列石
東海
蜆塚遺跡
共通
縄文土器 丸木舟new
 
弥生遺跡
東海
伊場遺跡
九州
吉野ヶ里 南内郭 「王」の家 「王」の妻の家 「王」の娘の家
逆茂木 貫頭衣 上層人の衣装 集会の館
織物の倉 「大人」の家 「大人」の妻の家 酒造りの家
道具の倉 石庖丁 紡錘車 物見櫓
弥生時代の布 祀堂 櫓門 甕棺墓列
北墳丘墓 稲穂の倉 弥生人
共通
弥生土器

古墳
東海
吉岡大塚古墳

Copyright(c) 2002-2024 写真紀行 uchiyama.info All Rights Reserved.