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特別史跡三内丸山遺跡は縄文時代前期中頃から中期にかけて(約5500年前〜4000年前)、長期間継続した大規模な集落跡です。平成4年(1992)から発掘調査が行われ、、竪穴住居跡、大型竪穴住居跡、大人と子供の墓、盛土、大型掘立柱建物跡、掘立柱建物跡、貯蔵穴、粘土採掘坑、道路跡などが見つかり、集落全体の様子や当時の環境が明らかになった。
また、膨大な量の土器、石器、土偶、土・石製品、掘り棒などの木製品、漆器、縄文ポシェットと編布、骨角器などが出土し、他地域から持ち込まれたヒスイや黒曜石なども見つかっている。
平成12年(2000)11月に国の特別史跡に指定された。 |
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<大型掘立柱建物>
復元した大型掘立柱建物は、発掘調査の成果や柱穴の底の部分にかかっていた土圧の分析結果などから全体の大きさを推定したもので、柱間と同じ4.2m間隔で床を作り、3層の建物としている。屋根については様々な説があることから現在のところ復元していない。 |
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<大型掘立柱建物跡>
掘立柱建物は柱穴を掘り、柱を立て、床や屋根を支えている。ここからは直径約2m、深さ約2mの柱穴が3個ずつ2列並んで見つかった。これらの間隔は全て約4.2mで、規則正しく配置されていた。柱穴の中からは直径約1mのクリの木柱が見つかった。縄文時代後半(約4200年前)のものと考えられている。 |
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<大型竪穴住居>
長さが10m以上の竪穴住居は大型竪穴住居と呼ばれている。この復元大型竪穴住居は長さ約32m、幅約9.8m、床面積約250uであり、日本最大のものです。縄文時代中期後半(約4000年前)のものを復元した。住居の他に、集会場や共同作業場などの説がある。 |
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<建物模型>
竪穴住居は、少なくとも20棟、多くみつもると数十棟に達した。その中には、面積が200u以上の大型住居もあった。地面に直接柱をたてた建物は、食料の貯蔵施設だろう。(模型は佐倉国立歴史民俗博物館にて) |