写真紀行・旅おりおり トップページへ 写真紀行・旅おりおり : 旅先で撮影した景色、建築、史跡、祭、風物等の写真と動画
 <小舟から大型船までを巡る写真紀行


 印象深い景色
坂道灯台横丁・小路街角通り温泉
 史 跡
街道史跡城・城跡人物奥の細道墓地・終焉地Play Back
 建築・構造物
伝統的建築先端建築神社漁港垣根
 自 然
池・沼海岸
 産業・交通
伝統・地場産業バスターミナル国内線自動車・バイク道風景
 四季の景色
棚田春景色夏景色秋景色冬景色
 歌の舞台・祭・他
歌の舞台祭・イベント夜景テ−マパ−ク趣味悠々
 管理人
管理人備忘録リンク集

十石舟・三十石船 伏見〜大坂   京都市伏見区
十石舟
十石舟 十石舟
 十石舟は、もともとは、江戸時代、伏見と大坂間を行き来した舟であった。その目的は、伏見の酒や米などの輸送と旅客の往来であった。現代風にいえば貨客船である。現在は観光船として伏見の風物詩になっている。三十石船は、十石舟より船体が大きかった。
三十石船
三十石船 寺田屋
三十石船
 三十石船とは、江戸時代に淀川を上下した客船である。乗客は、まず船宿に入り、それから乗船していた。寺田屋も有名な船宿の一つで、この付近には多くの船宿が並んでいた。
 淀川は平安時代以来船運が盛んで豊臣秀吉、次いで徳川家康が過書船の制度を定め、運賃や営業に対し税を課すなど取締りを行い、伏見大手筋には、過書船番所を設けていた。
 船の大きさは二十石積から三百石積で数百隻が運行し、貨物や旅客を運んでいた。その内三十石船は長さ約17m、幅2.5m、船頭4人、定員28名の旅客専用船で上りは1日又は一夜下りは半日、又は半夜で伏見と大阪天満の間を運航した。
 船賃は江戸時代中期で約50文、途中枚方に立ち寄る。そこでは船客に「くらわんか」と声をかけながら、餅を売りにきた。そうした風俗や船内の様子は、落語や講談浪曲で有名である。なお三十石船は明治4年(1871)に廃船になった。
龍馬とお龍、愛の旅路」像 龍馬とお龍、愛の旅路」像
「龍馬とお龍、愛の旅路」像
 薩長同盟を締結させた直後の慶応2年(1866)寺田屋に宿泊していた坂本龍馬は、伏見奉行所配下の捕り手に囲まれる。この時、危機を察知したお龍により命を救われた龍馬は、しばらく伏見薩摩藩邸にかくまわれていたが、右手の傷を癒やすためここ寺田屋浜から三十石船に乗り、お龍とともに、九州の霧島へと旅立った。
客船
サファイア・プリンセス ぱしふぃっくびーなす 飛鳥U 氷川丸 十石舟・三十石船
帆船
海王丸 浪華丸 日本丸 明治丸 初代日本丸
観光船
隅田川の船 水上バス シーバス
貨物船
コンテナ船 小鵜飼船 丸子船
渡船
天保山渡船 矢切の渡し
連絡船
羊蹄丸 八甲田丸 摩周丸 かめりあ丸 伊勢湾フェリー
本島汽船 さんふらわあnew
漁船
イカ釣り船(浜田) イカ釣り船(函館) しらす船 イカ釣り船(美保関) イカ釣り船(女川)
観測・調査船
ふじ しんかい2000 潜水調査船たんかい 宗谷
軍艦
潜水艦 護衛艦・はたかぜ 戦艦・三笠 北朝鮮工作船
模型
昇平丸 帆船模型 手漕ぎ木造和船


Google
WWW を検索 写真紀行・旅おりおり を検索

「写真紀行・旅おりおり」の画像を利用したい場合は、「」より連絡してください。

Copyright(c) 2002-2018 写真紀行 All Rights Reserved.