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矢切の渡し 渡し船   東京都葛飾区
矢切の渡し
矢切の渡し 矢切の渡し
矢切の渡し
 矢切の渡しは、昭和57年(1982年)歌謡曲『矢切の渡し』の大ヒットにより、全国的に有名になった。柴又帝釈天のすぐ近くにある。江戸時代初期、徳川幕府が設けた利根川水系河川15ヶ所の渡し場のうちの一つである。伊藤左千夫の「野菊の墓」の文学碑が、向こう岸の千葉県松戸市矢切側にある。 
矢切の渡し
矢切の渡しと山本亭
 元和2年(1616)、幕府は利根川水系河川の街道筋の重要地点15カ所を定船場として指定、それ以外の地点での渡河を禁止した。その一つが矢切の渡しで、この付近を通る国分道に架かる渡しで、主に近郷の農民が対岸の農耕地へ渡るために利用していた。
 現在、都内に残る唯一の渡し場で、今も昔ながらの手漕ぎの和船が対岸の松戸市下矢切との間を往復している。
 伊藤左千夫の名作「野菊の墓」の舞台となり、ヒット曲「矢切の渡し」を生んだ地としても有名です。
 柴又公園内にある山本亭は、書院づくりの庭園と和洋折衷の建物が見事な調和を見せる大正末期の特色を残す邸宅です。 
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