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昇平丸 日本初の洋式軍艦   鹿児島県鹿児島市
昇平丸
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日本初の洋式軍艦> 
 島津家28代島津斉彬は、西欧列強に対抗するために藩士田原直助に命じてオランダ造船書を研究させ、嘉永6年(1853)5月、琉球大砲船と称して日本初の本格的な洋式軍艦の建造に着手した。これはペリーの浦賀来港の前月にあたる。
 試行錯誤の末、19ヵ月後に船が完成。「昇平丸」と命名され、船印として「日の丸」を掲げた。
 安政2年(1855)に出航、北西の逆風をものともせず江戸の無事到着。その建造技術がすばらしいと絶賛され、同年8月には幕府に献上。「昌平丸」と改名された。翌月には勝海舟らが乗り込み長崎へ回航。長崎の海軍伝習所の練習船として、また、明治2年(1869)には「咸臨丸」とともに北海道開拓使の輸送船として活躍した。明治3年(1870)、座礁して、この船の一生は終わった。
3本マストのパーク型帆船
 総トン数  225トン 
 長さ  15間(約27.27m)
 幅  4間1尺(7.58m)
 深さ  3間(5.45m)
 乗組員  40名
 備砲  大砲10門、臼砲など6門
 帆船の型  3本マスト・バーク型
 造船所  桜島の瀬戸村造船所
昇平丸
日の丸
 「太陽神」を表す「日の丸」は、日本では古くから紋章として朝廷や武将たちに使用されてきたもので、江戸幕府も御用船の船印として使っていた。
 嘉永6年(1853)12月、島津斉彬は、日本の船と外国の船とを区別するために、白地に朱の「日の丸」を日本の全ての船の船印とすることを提案。話し合いは難航したが、水戸藩の徳川斉昭が斉彬デザインの「日の丸」を強く支持したこともあり、安政元年(1854)7月11日、幕府は「日の丸」を日本の船の総船印に採用。
 安政2年(1855)薩摩が造った日本最初の洋式軍艦「昇平丸」は日本の船であるという印として初めて「日の丸」を掲げている。明治3年(1870)には、日本郵船商船規則の中に規定され、以後国旗としての機能を果たすことになった。
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